血の日曜日(読み)チノニチヨウビ(その他表記)Кровавое воскресенье/Krovavoe voskresen'e ロシア語

デジタル大辞泉 「血の日曜日」の意味・読み・例文・類語

ち‐の‐にちようび〔‐ニチエウび〕【血の日曜日】

1905年1月22日(ロシア暦9日)の日曜日にロシアの首都ペテルブルグで起きた労働者虐殺事件。労働者とその家族が僧ガポンに率いられて冬宮とうきゅうに向かって請願行進中、軍隊発砲を受けて二千人以上の死傷者を出し、第一次ロシア革命発端となった。

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精選版 日本国語大辞典 「血の日曜日」の意味・読み・例文・類語

ち【血】 の 日曜日(にちようび)

  1. 第一次ロシア革命端緒となった一九〇五年一月二二日の日曜日をいう。僧ガポンにひきいられたペテルブルクの労働者がニコライ一世に請願デモを行ない、皇帝の軍隊に射殺され死傷者二〇〇〇人以上を出した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「血の日曜日」の意味・わかりやすい解説

血の日曜日
ちのにちようび
Кровавое воскресенье/Krovavoe voskresen'e ロシア語
Bloody Sunday 英語

1905年1月22日(ロシア暦9日)日曜日、ロシアの首都ペテルブルグで請願行進中の労働者が虐殺された事件。ロシア政府は労働運動の高まりに対応するため、警察の後見のもとに活動する合法的な労働者組織をつくり、それをコントロールして革命化を防ごうとした。04年につくられた「ペテルブルグ市ロシア人工場労働者の集い」もその組織の一つで、僧ガポンが中心人物であった。日露戦争の最中の04年12月、バクーで石油労働者がストライキを行ったが、ペテルブルグでは、「集い」の労働者の解雇をきっかけとして05年初めストライキが始まり、そのなかで、皇帝に直接、労働者の窮状と改革を訴える請願書を提出しようという計画が生まれ、1月22日の日曜日、14万人以上の労働者とその家族が冬宮に向かった。この行進は、皇帝の肖像、教会旗、十字架を掲げた平和的なものであったが、政府は警戒体制を敷き、停止命令に従わない列に発砲した。死者だけで1000人を超え、負傷者は2000人以上といわれている。民衆の皇帝に対する幻想は崩れ、抗議のストライキが拡大し、1905年革命の発端となった。

[木村英亮]

『和田春樹・和田あき子著『血の日曜日』(中公新書)』『西島有厚著『ロシア革命前史の研究』(1977・青木書店)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「血の日曜日」の意味・わかりやすい解説

血の日曜日
ちのにちようび
Krovavoe voskresen'e; Bloody Sunday

1905年ロシア第1次革命の発端となった流血事件。 05年1月 22日 (旧暦9日) の日曜日,聖職者 G.A.ガポンの指導のもとに,首都ペテルブルグの労働者とその家族約 20万人が,工場街数ヵ所から隊列を組んで,皇帝ニコライ2世に直接請願するため,同市の冬宮に向った。この行動は,聖像や皇帝の肖像を掲げた平和的なもので,請願書の内容は,人民の窮状を訴え立憲的な政治改革と労働者に対する保護立法を求めるものであった。これに対して官憲の側では,冬宮前広場などで民衆に発砲し,多数の死傷者を出した。この事件によって,民衆の皇帝に対する素朴な信頼の念は吹飛び,国民各層の不満が爆発し,第1次革命が始った。 (→ロシア革命 )  

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とっさの日本語便利帳 「血の日曜日」の解説

血の日曜日

一九〇五年一月二二日の日曜日、ペテルスブルクで皇帝への請願行動に立ったデモ隊に、突如軍隊が発砲して二〇〇〇人以上を死傷させた事件。以後、ストライキは全土に広がり、ロシア革命への道が準備された。

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