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玉葉和歌集 ぎょくようわかしゅう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

玉葉和歌集
ぎょくようわかしゅう

鎌倉時代後期の第 14勅撰和歌集京極為兼撰。 20巻。応長1 (1311) 年為兼に伏見院の院宣が下り,翌正和1 (12) 年奏覧,改訂して正和2年完成。歌数 2801首。伏見院,藤原定家西園寺実兼,従二位為子 (為兼の姉) ,藤原俊成西行藤原為家永福門院,為兼らがおもな歌人。万葉時代と新古今時代,および為兼の同時代の作品を重視している。歌風は,叙景歌は客観的,写生的で,恋歌など抒情歌は心理的,観念的傾向が著しい。声調よりも印象の清新さをねらっており,のちの『風雅和歌集』とともに,十三代集のなかでは異彩を放ち,玉葉・風雅歌風と呼ばれる。宮廷歌壇の対立を反映して,反対派の二条派から『歌苑連署事書』 (15) などの論難書が発表されたが,近年は高く評価されている。

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百科事典マイペディアの解説

玉葉和歌集【ぎょくようわかしゅう】

鎌倉後期,14番目の勅撰和歌集。20巻。伏見院院宣により京極為兼撰。1312年成立。歌数約2800。大覚寺統持明院統両統迭立,歌壇における二条家京極家冷泉家の対立を背景に,この集の成立は複雑な経緯をたどった。
→関連項目新熊野神社永福門院十三代集

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世界大百科事典 第2版の解説

ぎょくようわかしゅう【玉葉和歌集】

二十一代集〉中第14番目の勅撰和歌集。20巻。伏見院の院宣により1312年(正和1)に京極為兼が撰進。《玉葉集》と略称。後の《風雅和歌集》とともに,京極派の歌風を中心とする勅撰集として,《新古今集》以降の勅撰集のなかで異彩を放っている。当時の歌壇における二条・京極・冷泉3家の対立を背景に,本集の成立には複雑な経緯があり,伏見院ははじめ在位中の1293年(永仁1)に勅撰集の撰定二条為世,京極為兼,飛鳥井雅有,六条隆博に諮問した(雅有は不参)が,撰定方針等をめぐり為世と為兼の間に対立を生じ,おりからの為兼の配流,隆博・雅有の物故もあり,この企図は中絶した。

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大辞林 第三版の解説

ぎょくようわかしゅう【玉葉和歌集】

第一四番目の勅撰和歌集。二〇巻。伏見上皇下命、京極為兼撰。1312年成立。歌数約二八〇〇首。「風雅和歌集」とともに、京極派歌人の集として、精緻な自然観照を本領とした歌風に特色がある。玉葉集。玉葉。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

玉葉和歌集
ぎょくようわかしゅう

第14番目の勅撰(ちょくせん)和歌集。20巻。京極為兼(きょうごくためかね)撰。第92代伏見(ふしみ)天皇は為兼の革新的歌風を好み、在位中の1293年(永仁1)為兼、二条為世、飛鳥井雅有(あすかいまさあり)、九条隆博(たかひろ)の4名に勅撰集撰進を命じたが、98年為兼佐渡配流、天皇退位、続いて隆博、雅有も没して事業は中絶した。1308年(延慶1)花園(はなぞの)天皇が践祚(せんそ)、伏見院はふたたび為兼独撰による撰集を企図した。為世はこれに異議を申し立て、為兼との間に『延慶両卿訴陳状(えんきょうりょうきょうそちんじょう)』として知られる大論争を繰り広げ、冷泉為相(れいぜいためすけ)も撰者を希望して事態は紛糾したが、結局11年(応長1)5月3日為兼独撰が下命され、翌12年(正和1)3月28日奏覧、なお補訂を加えて13年10月に完成した。
 歌数は二十一代集中もっとも多い2801首、撰歌範囲は古代から当代に至るが、とくに京極派歌人詠とその先蹤(せんしょう)となった万葉歌、新古今歌人詠に重点を置き、大覚寺統、二条派は軽視する。主要作者は、当代では伏見院、永福門院(えいふくもんいん)、為兼、従三位(じゅさんみ)為子、西園寺実兼(さねかね)。前代では藤原俊成(しゅんぜい)、藤原定家、西行。新たな角度、照明による感覚的叙景歌「宵のまの村雲(むらくも)づたひ影みえて山の端(は)めぐる秋の稲妻」(伏見院)、非具象的観念歌「木の葉なき空(むな)しき枝に年暮れて又めぐむべき春ぞ近づく」(為兼)、心理分析的恋歌「音せぬが嬉(うれ)しきをりもありけるよ頼み定めてのちの夕暮」(永福門院)などに特色を示すが、伝統歌風支持派からは『歌苑連署事書(かえんれんしょのことがき)』などで激しい非難を被った。[岩佐美代子]
『次田香澄校訂『玉葉和歌集』(岩波文庫) ▽浜口博章著「玉葉集」(『和歌文学講座 4 万葉集と勅撰和歌集』所収・1970・桜楓社) ▽福田秀一著『中世和歌史の研究』(1972・角川書店)』

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世界大百科事典内の玉葉和歌集の言及

【歌論】より

… その後,定家の子の為家の《詠歌一体(えいがいつてい)》(偽書説もある)が平淡美を主唱し,京極為兼の《為兼卿和歌抄》が〈心のままに詞の匂ひゆく〉表現をよしとして,いっそうの心の重視を説いた。《為兼卿和歌抄》は《玉葉和歌集》の新風の理論的背景を知るうえで重要である。その他,阿仏尼の《夜の鶴》,二条為世の《和歌庭訓》等,鎌倉期に書かれた〈歌論〉の数は多いが,文学的に見て意義の認められるものはほとんどない。…

【京極為兼】より

…持明院統の伏見天皇に親近して信任厚く,政治に深入りしたため,反対勢力により1298年(永仁6)佐渡に配流されたが,1303年許されて帰京後も信念を曲げず,精力的に活動した。〈延慶両卿訴陳状〉は勅撰集編纂をめぐる為世との論争であるが,その結果,1312年(正和1)《玉葉和歌集》を撰進することになる。晩年ふたたび土佐に流されるなど波乱に富む生涯であったが,《為兼卿和歌抄》に見られる歌論に裏打ちされ,《玉葉和歌集》に結晶した京極歌風の粋は,和歌史上に異彩を放っている。…

【十三代集】より

…勅撰和歌集(二十一代集)のうち,第9集以後の《新勅撰和歌集》《続(しよく)後撰和歌集》《続古今和歌集》《続拾遺和歌集》《新後撰和歌集》《玉葉和歌集》《続千載和歌集》《続後拾遺和歌集》《風雅和歌集》《新千載和歌集》《新拾遺和歌集》《新後拾遺和歌集》《新続古今和歌集》の13の集をいう。 勅撰和歌集は,八代集の最後を飾る《新古今集》で芸術至上主義的な極致に達し,その後は歌の家としての権威を確立した御子左(みこひだり)家,特にその嫡流の二条家の主導で,平明を基調として展開する。…

※「玉葉和歌集」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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