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第14番目の勅撰(ちょくせん)和歌集。20巻。京極為兼(きょうごくためかね)撰。第92代伏見(ふしみ)天皇は為兼の革新的歌風を好み、在位中の1293年(永仁1)為兼、二条為世、飛鳥井雅有(あすかいまさあり)、九条隆博(たかひろ)の4名に勅撰集撰進を命じたが、98年為兼佐渡配流、天皇退位、続いて隆博、雅有も没して事業は中絶した。1308年(延慶1)花園(はなぞの)天皇が践祚(せんそ)、伏見院はふたたび為兼独撰による撰集を企図した。為世はこれに異議を申し立て、為兼との間に『延慶両卿訴陳状(えんきょうりょうきょうそちんじょう)』として知られる大論争を繰り広げ、冷泉為相(れいぜいためすけ)も撰者を希望して事態は紛糾したが、結局11年(応長1)5月3日為兼独撰が下命され、翌12年(正和1)3月28日奏覧、なお補訂を加えて13年10月に完成した。
歌数は二十一代集中もっとも多い2801首、撰歌範囲は古代から当代に至るが、とくに京極派歌人詠とその先蹤(せんしょう)となった万葉歌、新古今歌人詠に重点を置き、大覚寺統、二条派は軽視する。主要作者は、当代では伏見院、永福門院(えいふくもんいん)、為兼、従三位(じゅさんみ)為子、西園寺実兼(さねかね)。前代では藤原俊成(しゅんぜい)、藤原定家、西行。新たな角度、照明による感覚的叙景歌「宵のまの村雲(むらくも)づたひ影みえて山の端(は)めぐる秋の稲妻」(伏見院)、非具象的観念歌「木の葉なき空(むな)しき枝に年暮れて又めぐむべき春ぞ近づく」(為兼)、心理分析的恋歌「音せぬが嬉(うれ)しきをりもありけるよ頼み定めてのちの夕暮」(永福門院)などに特色を示すが、伝統歌風支持派からは『歌苑連署事書(かえんれんしょのことがき)』などで激しい非難を被った。
[岩佐美代子]
『次田香澄校訂『玉葉和歌集』(岩波文庫)』▽『浜口博章著「玉葉集」(『和歌文学講座 4 万葉集と勅撰和歌集』所収・1970・桜楓社)』▽『福田秀一著『中世和歌史の研究』(1972・角川書店)』
〈二十一代集〉中第14番目の勅撰和歌集。20巻。伏見院の院宣により1312年(正和1)に京極為兼が撰進。《玉葉集》と略称。後の《風雅和歌集》とともに,京極派の歌風を中心とする勅撰集として,《新古今集》以降の勅撰集のなかで異彩を放っている。当時の歌壇における二条・京極・冷泉3家の対立を背景に,本集の成立には複雑な経緯があり,伏見院ははじめ在位中の1293年(永仁1)に勅撰集の撰定を二条為世,京極為兼,飛鳥井雅有,六条隆博に諮問した(雅有は不参)が,撰定方針等をめぐり為世と為兼の間に対立を生じ,おりからの為兼の配流,隆博・雅有の物故もあり,この企図は中絶した。二条為世はその後,後宇多院の院宣により単独で《新後撰和歌集》を撰進した。伏見院は1311年(応長1)に再び,今度は京極為兼ひとりに勅撰集の撰定を命じ,翌年奏覧されたのが本集である。このおりの為世と為兼の再度の争いは《延慶両卿訴陳状》にくわしい。特徴としては,古歌の尊重のほかに,〈よひのまのむら雲つたひかげ見えて山のはめぐる秋の稲妻〉(伏見院),〈しほりつる風はまがきにしづまりて小萩がうへに雨そそくなり〉(永福門院)のような,明暗の変化を時間の推移のなかで凝視した叙景歌等に新境地をひらいていることがあげられる。後の和歌史のなかでは異端視されることが多かったが,近年再評価されている。
執筆者:光田 和伸
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第14番目の勅撰集。20巻。歌数約2800首。京極為兼撰。永仁期の勅撰集企画の頓挫と二条為世撰「新後撰集」の成立ののち,撰者の座をめぐる為世と為兼の「延慶(えんきょう)両卿訴陳状」の論争をへて,1311年(応長元)に伏見上皇下命。12年(正和元)奏覧,翌年に完成。撰歌範囲は「万葉集」から当代まで。おもな歌人は,伏見上皇・藤原定家・西園寺実兼・藤原為子(為兼の女)・同俊成・西行・藤原為家・永福門院・京極為兼など。京極派周辺を重視するが,広範囲の歌人が入集。客観的写生と心理的分析の京極派歌風を示す。
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… その後,定家の子の為家の《詠歌一体(えいがいつてい)》(偽書説もある)が平淡美を主唱し,京極為兼の《為兼卿和歌抄》が〈心のままに詞の匂ひゆく〉表現をよしとして,いっそうの心の重視を説いた。《為兼卿和歌抄》は《玉葉和歌集》の新風の理論的背景を知るうえで重要である。その他,阿仏尼の《夜の鶴》,二条為世の《和歌庭訓》等,鎌倉期に書かれた〈歌論〉の数は多いが,文学的に見て意義の認められるものはほとんどない。…
…持明院統の伏見天皇に親近して信任厚く,政治に深入りしたため,反対勢力により1298年(永仁6)佐渡に配流されたが,1303年許されて帰京後も信念を曲げず,精力的に活動した。〈延慶両卿訴陳状〉は勅撰集編纂をめぐる為世との論争であるが,その結果,1312年(正和1)《玉葉和歌集》を撰進することになる。晩年ふたたび土佐に流されるなど波乱に富む生涯であったが,《為兼卿和歌抄》に見られる歌論に裏打ちされ,《玉葉和歌集》に結晶した京極歌風の粋は,和歌史上に異彩を放っている。…
…勅撰和歌集(二十一代集)のうち,第9集以後の《新勅撰和歌集》《続(しよく)後撰和歌集》《続古今和歌集》《続拾遺和歌集》《新後撰和歌集》《玉葉和歌集》《続千載和歌集》《続後拾遺和歌集》《風雅和歌集》《新千載和歌集》《新拾遺和歌集》《新後拾遺和歌集》《新続古今和歌集》の13の集をいう。 勅撰和歌集は,八代集の最後を飾る《新古今集》で芸術至上主義的な極致に達し,その後は歌の家としての権威を確立した御子左(みこひだり)家,特にその嫡流の二条家の主導で,平明を基調として展開する。…
※「玉葉和歌集」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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