新座市(読み)ニイザシ

デジタル大辞泉 「新座市」の意味・読み・例文・類語

にいざ‐し〔にひざ‐〕【新座市】

新座

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「新座市」の解説

新座市
にいざし

面積:二二・八〇平方キロ

県中部の最南端に位置し、北西を柳瀬やなせ川、南東を黒目くろめ川が北東へ流れる。東は朝霞市、南は東京都練馬ねりま区・保谷市・東久留米市、西は所沢市・東京都清瀬市、北は入間いるま三芳みよし町・志木市。武蔵野台地を柳瀬川と黒目川が解析した沖積低地と、そこに挟まれた武蔵野台地野火止のびどめ面、および黒目川南東の武蔵野台地朝霞面の一部で構成される。野火止面の南西は標高六〇メートル程度、北東部は一八メートル程度で緩やかな傾斜をみせており、台地の両側は高低差一〇メートル程度の急崖となっている。東部から北西部にかけ国道二五四号(川越街道)が通り、南東部から西部にかけて関越自動車道が通過している。北東隅を東武東上線が走り志木駅が設けられ、北西部から北東部をJR武蔵野線が走って国道二五四号と交差する辺りに新座駅が設けられている。

〔原始・古代〕

旧石器時代の遺跡は黒目川流域両岸の台地上に群在し、市場坂いちばざか遺跡のナイフ形石器や尖頭器の石器群は早くから注目された。このほか池田いけだ遺跡・嵯峨山さがやま遺跡がある。縄文時代早期の遺物は黒目川沿いの嵯峨山遺跡や市場坂遺跡から撚糸文系土器が出土している。前期の集落跡では内畑うちばたけ遺跡が調査され、黒浜式や諸磯式土器を伴う竪穴住居跡が確認された。中期の遺跡では三二軒の竪穴住居跡が発掘された池田遺跡や嵯峨山遺跡・新座遺跡など大集落跡がある。後期・晩期の遺跡は数が少ないが鐙田あぶみだ遺跡が知られ、土器や土偶・石剣などが出土した。弥生時代中期の遺跡も柳瀬川や黒目川流域に散在し、後期から古墳時代前期に営まれた柳瀬川右岸の新開しんかい遺跡では三十数軒の竪穴住居跡と方形周溝墓三基が発掘された。また新座遺跡からは近畿地方で盛行した叩き目調整の甕形土器が出土し、注目されている。律令制下で市域は新羅しらぎ郡さらにその後身の新座にいくら郡に属した。「和名抄」記載の新座郡二郷のうち、余戸あまるべ郷が市域に比定される。

〔中世〕

古代から中世にかけて文学にみえる地名として野火止塚と野寺がある。文明一八年(一四八六)に当地へ来た聖護院道興の「廻国雑記」に紹介されており、野火止塚は「伊勢物語」第一二段の武蔵野に隠れた女の歌にちなみ、野寺は鐘の名所と伝えている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「新座市」の意味・わかりやすい解説

新座〔市〕
にいざ

埼玉県南部,武蔵野台地にある市。 1955年大和田町片山村が合体して新座町となり,1970年市制。江戸時代は中心市街地の一部である大和田川越街道の宿駅として発達。承応2 (1653) 年川越藩主松平信綱が野火止 (のびどめ) の開発事業に着手,承応4 (1655) 年野火止用水を開削。 1960年代以後,東京から近距離にあるため宅地化が進み,人口が急増。工場も増加し,電機,光学機械,印刷などの工業が発展した。野菜,果樹,花卉などの近郊農業も行なわれる。市の中央にある平林寺臨済宗の名刹で,境内林は天然記念物。境内の松平信綱の墓は,野火止用水とともに県指定の史跡。付近一帯は武蔵野の自然を残し,緑地特別保存地域に指定されている。面積 22.78km2。人口 16万6017(2020)。

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