日本歴史地名大系 「西長町」の解説 西長町にしながちよう 岐阜県:大垣市大垣城下西長町[現在地名]大垣市西長町・神田町(かんだちよう)大垣城の西に位置する士屋敷地域。北は番組(ばんぐみ)町、西は切石(きりいし)村。もと切石村のうちで、寛永―元禄期(一六二四―一七〇四)に侍町となったとされ、町名は町並が長いことによる(新修大垣市史)。寛延三年(一七五〇)の家並帳に切石長町(同書)、享和四年(一八〇四)の藩士家並帳(林文書)には西長町とみえる。家数は元禄期に二一、宝暦三年(一七五三)一三(新修大垣市史)。貞享二年(一六八五)一月、当町より出火した火災は、城内の松の丸・勘定所と鷹匠(たかじよう)町・厩を全焼、城の反対側の本(ほん)町・新(しん)町などまで焼く大火となり、文化元年(一八〇四)六月の切石町よりの出火では当町・鷹匠町が焼失した(同書)。 西長町にしながまち 和歌山県:和歌山市和歌山城下湊西長町[現在地名]和歌山市西長町一―四丁目下(した)町の南、北牛(きたうし)町の東から御通(おとおり)町に至る南北の通りの町人町。文政一三年(一八三〇)一―四丁目に区分され、同年の丁名増改時略図(田中家蔵)では総間数一七〇間余。 西長町にしながまち 京都府:福知山市福知山城下西長町[現在地名]福知山市字西長城郭の北にある大手門より、まっすぐに北に延びる町で、南北に長い町であるため長町の名でよばれる町の西側をいう。長町は城下建設当初からの町で、江戸時代前期の福知山城下町絵図では、南から上中下の三区分をしている(→東長町)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by