許広平(読み)キョコウヘイ

デジタル大辞泉 「許広平」の意味・読み・例文・類語

きょ‐こうへい〔‐クワウヘイ〕【許広平】

[1898~1968]中国の婦人運動家。番禺広東省)の人。魯迅ろじんの妻。魯迅死後「魯迅全集」を刊行。中華人民共和国成立後は全国婦女連合会副主席として活躍。魯迅との往復書簡集「両地書」は有名。著「暗い夜の記録」「魯迅回想録」など。シュイ=コアンピン。

シュイ‐コアンピン【許広平】

きょこうへい(許広平)

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精選版 日本国語大辞典 「許広平」の意味・読み・例文・類語

きょ‐こうへい‥クヮウヘイ【許広平】

  1. 中国の女流社会運動家。字(あざな)は漱園。筆名は景宋など。広東省出身。魯迅(ろじん)と結婚し、夫の死後、「魯迅全集」を整理刊行。人民政府成立後、全国人民代表大会常務委員、全国婦女連合会副主席などを歴任した。魯迅との往復書簡集「両地書」は有名。(一八九八‐一九六八

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「許広平」の意味・わかりやすい解説

許広平
きょこうへい / シュイコワンピン
(1898―1968)

中国の文学者魯迅(ろじん)の夫人。婦人活動家。筆名は景宋など。広東(カントン)省番禺(ばんぐう)県生まれ。1923年北京(ペキン)女子師範大学に入学、自治会委員長。段祺瑞(だんきずい)が学生運動を弾圧した三・一八事件のあと、兼担教授の魯迅とともに北京を脱出、広州(こうしゅう)の中山大学でともに教職についたが、1927年10月、蒋介石(しょうかいせき)の弾圧から免れるため、ふたたび広州を脱出、上海(シャンハイ)に赴いて、翌1928年、魯迅との同居生活に入った。1936年、魯迅が死去したあと、その著作の整理に努め『魯迅全集』の刊行にあたったが、1941年上海の租界を占領した日本軍の憲兵隊に逮捕され、拷問によって足を傷めた。

 人民共和国成立以後は、全国人民代表大会常務委員、全国婦女連合会副主席などの要職にあり、1951年(昭和26)、1961年には日本を訪問した。1968年3月4日70歳で死去。魯迅との往復書簡集『両地書』(1933)は愛情の記録であり、文学的にも価値が高い。『遭難前後』(1947/邦訳名『暗い夜の記録』)は日本軍憲兵隊に逮捕された際の貴重な記録。そのほか『魯迅回憶録』(1961)など魯迅の思い出を綴(つづ)った多くの著作がある。

安藤彦太郎

『松井博光訳『魯迅回想録』(1968・筑摩叢書)』『安藤彦太郎訳『暗い夜の記録』(岩波新書)』『魯迅・許広平著、竹内好・松枝茂夫訳『両地書』(1978・筑摩叢書)』

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改訂新版 世界大百科事典 「許広平」の意味・わかりやすい解説

許広平 (きょこうへい)
Xǔ Guǎng píng
生没年:1898-1968

魯迅夫人。広東省出身。字は漱園,筆名に景宋などがある。北京女子師範大学在学中,学園の自由化を要求する運動に参加し,同校講師でもあった魯迅と接触,助言を仰ぎ文通が始まる(《両地書》)。魯迅の死後,戦時の障害をのりこえ,《魯迅全集》を編集刊行する(1938)。太平洋戦争勃発直後,日本憲兵隊に拉致され(41年12月),2ヵ月余の拘禁中さまざまな拷問を受けた(《遭難前後》)。解放後は,全国婦女連合会副主席などの要職につき,婦人代表団などを率いて諸外国を歴訪,日本へも56年(原水禁世界大会)と61年(仙台の魯迅記念碑除幕式)に来訪した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「許広平」の意味・わかりやすい解説

許広平
きょこうへい
Xu Guang-ping

[生]光緒24(1898).広東,番禺
[没]1968.8.3. 北京
中国の作家魯迅の妻。北京女子師範大学在学中に学生運動に参加,教師の魯迅と結ばれた。 1927年,魯迅とともに上海へ移り,以後,抗日文芸工作に従事,日本軍に逮捕されたこともある。中華人民共和国成立以後は,全国婦女連合会副主席,全国人民代表大会常務委員などの要職を歴任。著作のなかでは魯迅との往復書簡集『両地書』 (1933) が有名。

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百科事典マイペディア 「許広平」の意味・わかりやすい解説

許広平【きょこうへい】

魯迅の夫人。広東省生れ。字(あざな)は漱園,筆名に景宋などがある。北京女子師範大学に在学中,同校の講師でもあった魯迅と出会う。魯迅の死後,《魯迅全集》(1938年)を編集刊行。1941年日本憲兵隊に拉致され拘禁。中華人民共和国成立後,全国婦女連合会副主席など。1956年(原水禁世界大会)と1961年(仙台の魯迅記念碑除幕式)に来日。

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367日誕生日大事典 「許広平」の解説

許 広平 (きょ こうへい)

生年月日:1898年2月12日
中国の文学者魯迅夫人
1968年没

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