中国の文学者魯迅(ろじん)の夫人。婦人活動家。筆名は景宋など。広東(カントン)省番禺(ばんぐう)県生まれ。1923年北京(ペキン)女子師範大学に入学、自治会委員長。段祺瑞(だんきずい)が学生運動を弾圧した三・一八事件のあと、兼担教授の魯迅とともに北京を脱出、広州(こうしゅう)の中山大学でともに教職についたが、1927年10月、蒋介石(しょうかいせき)の弾圧から免れるため、ふたたび広州を脱出、上海(シャンハイ)に赴いて、翌1928年、魯迅との同居生活に入った。1936年、魯迅が死去したあと、その著作の整理に努め『魯迅全集』の刊行にあたったが、1941年上海の租界を占領した日本軍の憲兵隊に逮捕され、拷問によって足を傷めた。
人民共和国成立以後は、全国人民代表大会常務委員、全国婦女連合会副主席などの要職にあり、1951年(昭和26)、1961年には日本を訪問した。1968年3月4日70歳で死去。魯迅との往復書簡集『両地書』(1933)は愛情の記録であり、文学的にも価値が高い。『遭難前後』(1947/邦訳名『暗い夜の記録』)は日本軍憲兵隊に逮捕された際の貴重な記録。そのほか『魯迅回憶録』(1961)など魯迅の思い出を綴(つづ)った多くの著作がある。
[安藤彦太郎]
『松井博光訳『魯迅回想録』(1968・筑摩叢書)』▽『安藤彦太郎訳『暗い夜の記録』(岩波新書)』▽『魯迅・許広平著、竹内好・松枝茂夫訳『両地書』(1978・筑摩叢書)』
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