認知言語学(読み)にんちげんごがく

精選版 日本国語大辞典の解説

にんち‐げんごがく【認知言語学】

〘名〙 (cognitive linguistics の訳語) 言語現象は、言語以外の、身体運動や知覚などによる認知作用と共通する概念で説明できるとする言語論。チョムスキーの生成理論に対して唱えられる。

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にんちげんごがく
認知言語学
cognitive linguistics

人間の認知能力から言語現象を体系的に記述し,説明する研究領域をいう。認知言語学で問題とする認知cognitionは,外部世界の解釈と意味づけ,環境・社会との相互作用を介しての身体的ないしは対人関係的な経験・感性・想像力などを反映する経験的基盤に根差す,広い意味での「認知能力」を問題としている。認知ということばを,文字通りに認知ないしは知覚の意味に解し,非常に狭い意味でのことばの認知と,知覚のプロセスに焦点をおいた研究を,認知言語学とする立場も考えられる。しかし,狭い意味での認知や知覚のプロセスは前記の認知の中に含まれるから,この見解は偏狭といわねばならない。認知言語学のアプローチは,この広義の認知能力の観点から,言語現象を創発的にとらえていくアプローチを意味する。

【認知言語学の方法論的立場】 認知言語学は,従来の西欧中心の客観的な世界観とは対立する立場にある。客観的世界観のもとでは,人間主体の身体性physicality(感覚・知覚・認知・思考活動などの身体的な経験)とは独立した抽象的な記号の操作によって特徴づけられ,これに付与される意味は,客観的に構築された世界,すなわち主体としてのわれわれの解釈から独立して存在する世界との対応によってとらえられるという前提に立っている。この世界観は,計算主義のアプローチcomputational approachによる言語学と認知科学の関連分野の研究の前提にもなっている。計算主義のアプローチは,言語情報や記憶・認識にかかわる情報を分節構造をもつ記号系によって表示することを目的とし,言語シンボルと心の働きを抽象的な一連の記号操作(ないしは計算)の過程として記述する。このアプローチの記号観は,以下の4点にまとめられる。⑴記号系は,外部世界と相互作用していく主体とは独立に存在し,その体系は命題分節的な記号表示によって規定可能である。⑵この記号系の背後の意味は,言語外の文脈から独立した指示対象(ないしは概念)として存在する。⑶文法カテゴリーと意味カテゴリーは,言語主体の解釈から独立して存在する。したがって,⑷記号系の構造と意味は,自律的な記号表示によって規定することが可能である。

 この計算主義のアプローチでは,自律的な記号の形式と意味の関係から成る「言語的な知識」の分析に力点がおかれ,その背後に存在する言語主体の認知能力や運用能力から言語的な知識の本質を探究していくという視点が欠落している。

 認知言語学では,人間のことばと知のメカニズムを科学的に分析し,体系的に研究していくという科学観に基づき,言語主体が世界とかかわり,解釈するダイナミックな認知過程を対象にして研究を進めている。認知言語学のアプローチは,ミクロ・レベルからマクロ・レベルに至るどのような要素であれ,主体が世界と相互交渉し,世界を解釈するダイナミックな過程から言語現象を体系的に記述し,説明していく。言語現象には,人間の知性的な側面だけでなく,身体性が反映されている。

【認知言語学の文法観】 ことばは,主体が外部世界を認識し,この世界との相互作用による経験的な基盤を動機づけとして発展してきた記号系の一種である。ことばには,主体による外部世界の解釈,外部世界のカテゴリー化,意味づけなどにかかわる認知的な要因が反映されている。認知言語学は,このような人間の認知能力にかかわる要因を言語現象の記述・説明の基盤とするアプローチを取る。このアプローチを取ることにより,ことばの背後に存在する言語主体の認知能力との関連で,言語現象を包括的にとらえることができる。

 従来の言語学のパラダイム,たとえば生成文法では,いわゆる言語能力は,知覚,運動感覚,イメージ形成,視点の投影,カテゴリー化などにかかわるわれわれの一般的な認知能力とは独立した自律的なモジュールとしての言語知識であることを前提としている。すなわち,このパラダイムでは,一般的認知能力から切り離された自律的な言語能力の存在を前提としているのである。これに対し,認知言語学のパラダイムでは,言語能力は一般的な認知能力を反映しているものとみなす。言い換えれば,言語能力は人間の認知能力と不可分の関係にあり,認知能力とのかかわりを無視して言語能力を説明・記述できないという立場に立っている。

 認知言語学のアプローチでは,言語を閉じた規則の体系として規定していくのではなく,音韻・形態から構文に至る言語単位をスキーマとして規定し,この種の言語単位の実際の言語使用の文脈における定着度,慣用化の視点から相対的に規定していく。

 従来の言語観では,句レベル・文レベルの意味は,それを構成する語彙の辞書的な意味と句構造,文構造にかかわる文法規則の関数として間接的に規定される。これに対し,認知言語学のアプローチでは,語彙レベル・句レベル・構文レベルなどのどのレベルの言語単位も,認知主体の概念化conceptualizationの認知プロセスを反映する意味に対応づけられる。換言するならば,これらのどのレベルの言語単位も,派生ないしは構成性の原理によって間接的に規定されるのではなく,認知的な意味を担う単位として直接的に規定されることになる。

 さらに,認知言語学のアプローチは,それぞれの言語単位が文法体系の中に独立に存在するのではなく,文法全体の生態的環境の中に相対的に位置づけられるという言語観に立脚している(Langacker,R.W.,2008)。この言語観では,各言語単位は,文法の体系全体の生態的環境の中で,意味と形式の動機づけの関係によって相対的に位置づけられる。意味と形式の関係から見て,より動機づけが高い言語単位は,文法体系の中核部分により適合した存在として位置づけられる。また,文法の体系全体により適合する言語単位は,認知的に単純で,記憶・再生が容易で,習得しやすく,言語使用の文脈において使いやすく,理解しやすい単位として位置づけられる。すなわち文法体系は,認知の効率が最大限になり,形式と意味の動機づけが最大限になるように言語単位を拡張させ,変化させていく方向を内在させた体系として位置づけられる。

【認知言語学と生成文法論の相違点】 認知言語学は,ことばの担い手としての主体の認知能力と運用能力から,形式と構造の側面を含む言語現象の全体を,いわば認知的・運用的な動機づけに裏打ちされた発現系として創発的に規定していくアプローチを取る。この立場は,生成文法論(生成文法generative grammarのアプローチとは本質的に異なるものである。生成文法論では,文法はモジュールとしての下位部門として,意味解釈の部門からは独立に規定され,文法と意味のいずれの部門も一連の記号表示と記号操作によって規定されるという言語モデルを仮定している。このモデルは,文法部門も意味部門も,一連の記号表示として規定されるが,これらの記号表示は,言語主体の認知能力からは独立した記号系として規定されている。

 さらに生成文法論では,文法を中核とする言語体系は,インターフェースを介して語用論と他の認知機構に接続すると仮定されている。このインターフェースによる規定は,方法論的に語用論と他の認知機構の部門をつねに解釈的な部門として,文法を中心とする自律的な言語体系の問題から切り離して扱うことになる。したがって,言語現象にかかわる語用論的な制約や認知的な制約は,原則的に自律的な文法プロパーの制約には関係しない制約として扱うことを意味する。

 生成文法論では,さらにモジュール的アプローチをとるため言語体系の知識の中から,シンタクスsyntax(統語論)の知識を,音声と意味の表示レベルからは独立した自律的な体系として切り離して扱っている。このアプローチは,シンタクスにかかわる知識を,音声と意味にかかわる制約からの動機づけを介して動的に説明していく方向性を暗黙のうちに排除している。

 しかし,音声と意味の世界から独立して仮定されるシンタクスの世界ほど,抽象的で経験的にその実在性を裏づけることが困難な体系はないといえる。記号系の外からの実質的な裏づけを欠くシンタクスの理論的仮構物は,最悪の場合には,経験的な事実の探究から遊離したまま,テクニカルな修正と改訂を無限に繰り返しつづける可能性がある。ここに,理論言語学におけるシンタクスの研究の本質的な問題が潜んでいる。

【認知能力の発現としての言語現象】 認知言語学のアプローチでは,言語能力は一般的な認知能力によって動機づけられ,この認知能力の反映として位置づけられる。言い換えると,認知言語学のアプローチでは,言語能力にかかわる知識は,知覚,運動感覚,イメージ形成,視点の投影,カテゴリー化などと不可分に結びついていると仮定される。

 認知言語学のこれまでの研究において,一般的な認知能力から言語能力を包括的に見直していくことの妥当性を示す証拠が多く見いだされている。その一つは,カテゴリー化categorizationに関する一連の知見である(Lakoff,G.,& Johnson,M.,1999)。日常言語の文法には,中心的カテゴリーから非中心的カテゴリーにわたって分布する放射状カテゴリーの存在が確認され,このカテゴリーの分布関係には,プロトタイプ効果が認められる。このカテゴリー化のプロセスに見られるプロトタイプ効果自体は,言語能力に由来するものではなく,人間の一般的な認知能力に由来するものである。この認知能力に由来するプロトタイプ効果は,文法カテゴリーのレベルだけでなく,語彙レベルの多義性,イディオム,構文のネットワークの分布関係にも見られる。この事実は,言語現象は認知能力と不可分であることを例証している。

 日常言語の概念体系に関しては,もう一つの重要な事実が指摘されている。それは基本レベルカテゴリーの存在である。この事実は,日常言語の概念体系は,言語主体の経験的な基盤から独立した上位概念・下位概念の階層関係の閉じた体系から成っているのではなく,知覚・記憶・習得が容易で,情報処理の効率性が高く,日常生活の経験により適合するレベル(すなわち基本レベル)のカテゴリーを中心に,経験的に開かれた体系として構築されていることを意味する。ここでとくに注目すべき点は,日常言語の概念体系は,言語主体から独立した記号系として存在しているのではなく,知覚・記憶・情報処理の効率性といった主体の身体性を反映する認知能力と経験的な基盤によって動機づけられ,これを背景としてその存在が保証されているという点である。

【認知言語学の展開】 一つの研究プログラムが,実質的な展望をもって進展していくかどうかを見極める一つの目安は,問題の研究分野がその学問領域において事実の適切な分析と予測・説明を可能としていくだけでなく,関連分野からの知見によっても支持されるという点にある。この点から見て,認知言語学と関連分野の近年の動向は注目される。認知言語学と認知心理学,コネクショニズムと言語習得,神経ダーウィニズム,脳科学と力学系,認識人類学,自然言語処理などの関連分野の知見相互の裏づけがなされつつある。認知言語学は,これらの関連分野とも密接にかかわりながら,新しいことばの科学の研究プログラムとして進展している。 →意味論 →言語機能 →語用論 →文法論
〔山梨 正明〕

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世界大百科事典内の認知言語学の言及

【言語】より

… しかし,言語の意味というものを直観以上のものにして,形式的に捉えるのは想像以上に難しい作業である。大雑把にいって,統語論的の形式的なやり方に準じて,意味を形式的に記述することを試みる形式意味論の立場と,後述の運用論(語用論)と近い立場から,人間の一般的な認知的メカニズムに照らして意味を記述していこうという認知意味論(認知言語学ともいう)の立場があり,今日,両者ともに盛んに研究が行われている。
【言語使用の普遍性】
いうまでもなく,言語は,それを使う人間なしでは存在し得ない。…

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