護憲三派内閣(読み)ごけんさんぱないかく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「護憲三派内閣」の意味・わかりやすい解説

護憲三派内閣
ごけんさんぱないかく

第二次憲政擁護運動勝利のうえに、1924年(大正13)6月11日、憲政会総裁加藤高明(たかあき)を首班立憲政友会革新倶楽部(くらぶ)との連立で成立した政党内閣。第一次加藤高明内閣ともいう。内閣は緊縮財政方針をとり、陸軍軍縮を核とする行財政整理に取り組んだが、難航のすえ、4個師団を減じ、そのかわりに軍備の近代化、国民的軍事教練を行うなど、きわめて不徹底なものに終わった。また公約貴族院改革もきわめて不十分で、民衆の期待にこたえたのは男子普通選挙制の実現のみであった。しかしそれも治安維持法との抱き合わせであった。第50議会終了後三派の対立は表面化し、25年7月31日総辞職、8月2日憲政会単独の第二次加藤内閣が発足した。

[阿部恒久]

『今井清一著『日本近代史Ⅱ』(1977・岩波書店)』『林茂・辻清明編『日本内閣史録3』(1981・第一法規出版)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「護憲三派内閣」の意味・わかりやすい解説

護憲三派内閣
ごけんさんぱないかく

第2次護憲運動で清浦奎吾内閣が総辞職したあとに成立した憲政会立憲政友会革新倶楽部の三派連立内閣。首相に憲政会総裁加藤高明,ほかに高橋是清 (政友会) ,犬養毅 (革新倶楽部) らが各派から入閣。男子普通選挙法の制定,貴族院の部分的改革,財政緊縮,陸軍4個師団の削減などの行政整理は公約どおりに実行された。しかし,治安維持法の制定,軍備の近代化,学校教練なども同時に実施した。議会閉会後は内部分裂が起り,税制整理の問題をめぐって 1925年に3派の結束は崩壊した。

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百科事典マイペディア 「護憲三派内閣」の意味・わかりやすい解説

護憲三派内閣【ごけんさんぱないかく】

加藤高明内閣

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「護憲三派内閣」の解説

護憲三派内閣
ごけんさんぱないかく

加藤高明内閣(かとうたかあきないかく)

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世界大百科事典(旧版)内の護憲三派内閣の言及

【帝国議会】より

…しかし,原の横死以後は政友会内の派閥対立が表面化するとともに貴族院への影響力も急速に後退して政友会内閣は退陣し,これ以後,貴族院議員を中心とする中間内閣が続いた。24年枢密院議長清浦奎吾(けいご)が陸海外相を除く全閣僚を貴族院議員で構成する特権内閣を組織すると,危機感を強めた憲政会,政友会,革新俱楽部の3党は護憲三派を結成して第2次護憲運動を展開し,解散後の総選挙で圧勝して護憲三派内閣を成立させた。
[普選法と憲政の常道]
 この内閣は,1925年第50議会で公約の普通選挙法を成立させ,同時に貴族院改革にも手をつけたが,有爵(伯,子,男)互選議員を若干減員する一方,帝国学士院会員からの選出議員を新設し,多額納税議員を若干増員するという改革にとどまり,世論の要求する抜本的な改革とはならなかった。…

※「護憲三派内閣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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