中国南西部、貴州(きしゅう)省中央部にある地級市で、同省の省都。烏江(うこう)支流の南明河が貫流する高原上の盆地に位置する。略称は筑。人口374万0700(2014)。6市轄区、3県を管轄し、1県級市の管轄代行を行う(2016年時点)。古くから雲南(うんなん)省、貴州省方面の政治と軍事の要地で、1930年貴陽県から貴陽市となり、省政府が置かれた。
解放前は工場も少なく、地方の商業中心地にすぎなかったが、新中国成立後は工業の発展が目覚ましく、鉄鋼コンビナート、鉱山・交通・電気関係の機械製造、冶金、電力、化学、セメント、繊維、たばこなどの工場がみられる。周辺では石炭、燐(りん)鉱石、ボーキサイトなどが産出される。さらに、成都(せいと)、昆明(こんめい)、柳州(りゅうしゅう)、長沙(ちょうさ)などとの鉄道がこの地で交会するほか、周辺各省へ放射状に延びる自動車道路、主要都市と結ぶ航空路があり、中国南西部の交通の要地となっている。また、貴陽大学や中国科学院地球化学研究所をはじめとする各種研究所を有する文化の中心地でもある。市の南西部には、「貴州高原上の花」といわれる花渓(かけい)、南東部には甲秀楼(こうしゅうろう)、北西部には黔霊(きんれい)公園など景勝地や保養地も多い。
[小野菊雄・編集部 2016年12月12日]
中国,貴州省中部の市,黔霊(けんれい)山の南,南明河両岸に開けた省人民政府所在地。人口299万(2000)。冶金業など工業も発達し,四川・広西などへ四通した貴州省の経済・交通の中心である。古くより〈春の都〉昆明とともに雲貴高原上にあるが,冬季,西方に停滞前線が生じ,〈天に三日の晴なし〉の典型的な気候となる。歴史上,雲南,貴州方面の政治・軍事の要地で〈滇南(てんなん)の門戸〉と称せられたが,古くは,西南夷の地であった。前2世紀漢の武帝によって牂牁(しようか)郡がおかれ,少数民族の君長をもつ且蘭(しよらん)県の地となった。一方,貴陽周辺の清鎮・平壩(へいは)地域には漢代の墓が集中しており,漢族の影響も大きかった。平壩には仡佬(コラオ)墳と呼ぶ少数民族の宋代の墓群も発見されている。ついで牂牁県,建安県をへ,明代にはじめて貴陽府が設けられ,新貴県に改められた。貴陽府はのちに貴陽軍民府に変更されたが,清には復活,県も貴筑県となった。略称の筑はここからくる。1913年貴陽県となり,一時貴筑県に戻るが,その後市街地域が市に昇格,57年貴筑県を合併し,市域を拡大した。
執筆者:駒井 正一
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