主として開発途上の資源保有諸国による、天然資源に対する支配権拡大の主張と、それを実現するための諸活動のことをいう。資源ナショナリズムの先駆的形態は1962年に国連で採択された「天然資源に対する恒久主権に関する決議」にみいだすことができ、そこでは、天然資源がその保有国に属し、資源保有国の民族的発展とその国民の福祉のために使用されるべきことが確認された。また、今日の開発途上諸国の資源ナショナリズムは新国際経済秩序によって象徴され、その考え方は74年に国連で採択された「新国際経済秩序の樹立に関する宣言」と「国家の経済権利義務憲章」で明確にされた。とくに前者においては、いずれの国も自国の天然資源を保護するために、国有化および所有権を国民に移転する権利をもち、さらに天然資源に対する効果的な管理および自国の状況にふさわしい手段によって資源を開発する権利をもつことが強調されている。また、資源ナショナリズムをもっとも具体的に表現したものはUNCTAD(アンクタッド)(国連貿易開発会議)の「一次産品総合プログラム」であるが、一次産品交易条件の持続的改善のための資源カルテル(生産国同盟)の結成、開発途上諸国による外国企業の国有化、資源輸出価格の輸入品価格へのインデクセーション(物価スライド制)、開発途上諸国産品の先進国市場へのアクセスの改善、開発途上諸国の工業化の推進、などの諸施策も資源ナショナリズムの発現形態である。
[入江成雄]
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(袴田茂樹 青山学院大学教授 / 2007年)
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…結成の直接的契機は,1959年2月と60年8月の2回にわたり,国際石油会社(メジャー)が行った原油公示価格(産油国に対する利権料と所得税の基準となる計算(価格))の引下げに求められる。しかしその基礎には,石油資源の保有国がその資源に対する恒久主権をもつという考えが国際的に確立されはじめ,資源ナショナリズムが高揚しつつあった事実がある。ところが実際には,価格決定権をはじめ,石油の生産,輸送,精製,販売等のすべては,国際石油会社の手中に握られており,産油国は受動的に利益配分を受け取るだけの状況に対する不満や反発が,その主動因であったといえよう。…
…さらに,60年代における発展途上国の相次ぐ独立に伴うナショナリズムの高まりや,60年代後半から70年代にかけて浸透した〈資源有限意識〉によって,資源輸出国の国際的地位が強化された。この二つの動きが資源ナショナリズムを生んだ。そして,先進国にとっては資源の安定確保,発展途上国にとっては経済発展という両者のニーズを満たす形としての開発輸入方式が定着していったのである。…
…例えば,67年コンゴ民主共和国はユニオン・ミニエール社(ベルギー)の資産を接収,70年ペルーはアルサコ,アナコンダ両社(ともにアメリカ)を接収,71年にはチリがアナコンダ,ケネコット両社(ともにアメリカ)の鉱山を国有化した。 このような資源ナショナリズム(資源保有国が資源に関する主権を回復し,資源の生産または輸出における地位の大幅な改善を図ろうとする動き)は,73年10月の第4次中東戦争を契機とする石油危機で噴出し,この成功に刺激されて他の資源においても活発化した。例えば,74年に主要なボーキサイト産出国がIBA(International Bauxite Associationの略。…
…現行の国際経済秩序はこれをつくり出した先進諸国にとって有利で,南北格差を固定化するものであり,南の貧困を解決するためにはこの秩序自体を根本的に変革することが不可欠である,というのである。こうした認識のもとに,1970年代以降南側諸国は資源ナショナリズムを発動し,OPEC(オペツク)の石油戦略の成功(石油価格は1973年10月の中東戦争後短期間に4倍化)をてことして団結力を固め,発言力を強化してきたが,そのハイライトとして74年の第6回国連資源特別総会は〈新国際経済秩序(NIEO)樹立に関する宣言〉をコンセンサス方式で採択するにいたった。NIEOの主旨は,南北問題の解決には,従来の市場メカニズムに従った自由貿易の原則とは異なり,発展途上国に対する一方的な優遇措置を含む新たな原則が必要であるというものである。…
※「資源ナショナリズム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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