国連貿易開発会議United Nations Conference on Trade and Developmentの略称。1964年に設立された国連総会直属の常設国際機関で,発展途上国の経済開発を促進することにより南北問題を解決することを目的とする。本部ジュネーブ。加盟国数192ヵ国(2005年末現在)。
成立の歴史的背景としては,一方で第2次大戦後政治的独立を達成した諸国が経済開発に行きづまり,南北格差の一層の拡大をまのあたりにして,その原因を先進国側に有利なIMF-GATT(ガツト)体制を中心とする既存の世界経済システムに求めたという事情があり,他方で1950年代末から60年代にかけて南北問題への意識が世界的な高まりをみせたという事実がある。こうしたなかで1950年代後半から発展途上国の経済開発をめぐって種々の困難が顕在化し,とくに貿易の伸び悩み,国際収支の不均衡が問題となり,発展途上国からの輸出の拡大が焦眉の急となったことがその成立の直接的なきっかけであった。
61年には第16回国連総会で1960年代を〈国連開発の10年〉とする決議がなされ,62年には国連主催の貿易会議を早期に開催することを要求したカイロ宣言が発せられた。そして同年の第17回国連総会で64年のUNCTAD開催が正式に決定され,同時に準備委員会が設立された。こうして64年3~6月に第1回会議がジュネーブで開催されたが,同年の第19回国連総会はこの会議を国連総会直属の常設国際機関とし,定期的な総会の開催を通じて懸案事項を討議するよう決定した。この結果,常設執行機関として貿易開発理事会Trade and Development Board(TDB)が設置され,その下部にいくつかの常設委員会が置かれた。UNCTADの組織上の大きな特徴は,1国1票制が採用され,多数を占める南側諸国に有利な運営が企図されている点にあり,これは出資比率に応じた投票権制をとるIMF等の既存機関とは対照的である。
第1回会議では,初代事務局長プレビッシュの基調報告(いわゆる〈プレビッシュ報告〉)に基づき〈援助よりも貿易を〉をスローガンとして,一次産品に対する先進国の門戸開放,製品・半製品に対する特恵関税の供与,国民所得の1%援助等を討議した。第2回会議(1968,ニューデリー)では,〈援助も貿易も〉ともに拡大する要求が出され,一次産品の価格安定策,製品・半製品への一般特恵の供与,援助目標の上方修正(国民総生産(GNP)の1%へ)等が論じられた。第3回会議(1972,チリのサンチアゴ)では,援助額からの民間投資等非援助要素の排除とODA(政府開発援助)の比率のアップ,SDR(IMF特別引出権)と開発援助のリンク,一次産品に関する政府間協議組織の創設等が議題とされた。第4回会議(1976,ナイロビ)では,74年の新国際経済秩序(NIEO)樹立宣言をうけて,その行動様式にもられた多くの議題が討議されたが,その柱は一次産品総合プログラムであり,一次産品価格安定化のための緩衝在庫の設置と共通基金の設立が強く要求された。第5回会議(1979,マニラ)では,〈対決よりも南北対話〉をスローガンに上記の共通基金の設立,南北間の産業構造調整等が討議された。第6回会議(1983,ベオグラード)では,世界同時不況という悪条件もあって南北の利害対立が表面化した。第7回会議(1988,パリ)では,最も債務負担の重いメキシコなどの発展途上国の民間銀行債務の一部棒引きを提案した。また89年,一次産品の価格安定を目指す一次産品共通基金が発効した。第8回会議(1992,コロンビアのカルタヘナ)では,保護主義的な貿易政策を求める決議を行うとともに,途上国の自助努力を強調した。第9回(1996,南アフリカのミッドランド)では,南北協力の強化とアンクタッドの機構改革を盛り込んだ政治宣言を採択した。
これまでのところ会議設立当時南側が期待したほどの実績はあがっていないが,この会議を通して特恵供与が現実のものとなり,援助の増額や一次産品価格の安定に多くの関心が寄せられるようになったことは評価されてよい。
→経済協力 →南北問題
執筆者:村上 敦
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[国際機関]
全地球的視野で解決を要する天然資源,食糧,環境,衛生,エネルギーなどの諸問題についての活動が展開され,また発展途上国の国民経済の発展を図るための科学技術力の強化を図る援助活動が続けられている。国連における〈開発のための科学技術政府間委員会〉〈新・再生可能エネルギー政府間委員会〉などは総合的なものであるが,発展途上国援助につき国連開発計画(UNDP),国連貿易開発会議(UNCTAD),国連工業開発機構(UNIDO)などの機構において技術協力が活発化しており,また宇宙空間平和利用委員会,国連環境計画(UNEP)などの活動のほか,国際原子力機関(IAEA),国連食糧農業機関(FAO),世界保健機関(WHO),国連教育科学文化機関(UNESCO)等の専門機関が,それぞれ技術援助や情報活動を行っている。また経済協力開発機構(OECD)においては,科学技術政策委員会(CSTP)などいくつかの委員会で交流が行われている。…
…しかし発展途上国は,工業化を行うだけの道路,鉄道,港湾などの社会資本を欠いているうえ,工業化のための機械・設備の輸入増による貿易収支の悪化に悩むようになってしまった。このため,64年の第1回UNCTAD(アンクタツド)(国連貿易開発会議)において,プレビッシュ報告がなされ,〈援助よりも貿易を〉というスローガンが生まれ,開発輸入方式による資源輸入が提唱された。さらに,60年代における発展途上国の相次ぐ独立に伴うナショナリズムの高まりや,60年代後半から70年代にかけて浸透した〈資源有限意識〉によって,資源輸出国の国際的地位が強化された。…
…共産圏諸国や産油国は,自国の経済開発のために,先進国から援助を受ける一方で,より開発の遅れた国に援助を与えている。 一方,援助を受け入れる発展途上国側は,UNCTAD(アンクタツド)(国連貿易開発会議)の場を通じて,いろいろな要求を行っている。当初は,(1)一次産品の販路と価格の安定,(2)工業製品輸出に対する特恵関税の付与,(3)政府開発援助official development assistance(略称ODA。…
…この会議で同時に〈発展途上国(開発途上国)developing countries〉という言葉が用いられ,それまでの〈後進国backward countries〉〈低開発国under‐developed countries,less‐developed countries〉に代わって,国連用語に採用されることになった。64年にジュネーブで開かれた国連貿易開発会議United Nations Conference on Trade and Development(UNCTAD(アンクタツド))で,3大陸の国々は77ヵ国グループ(略称Group77。以下G77と記す。…
※「UNCTAD」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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