江戸時代の地方(じかた)用語で,洪水などの災害や労働力不足による耕作放棄などのために荒廃した田畑を,再び元のように復興すること。〈おこしかえり〉〈おきかえり〉と読むこともある。また起返になった田畑を起返地あるいは起返場所と言う。検地によって石高をつけられた田畑が荒地化した場合,その田畑は永荒(えいあれ)地として登録され年貢賦課の対象から除かれるので,当然年貢収納量の減少を招くことになる。このような現象は江戸時代を通じてあるが,幕府の農政の上でこのことが大きく問題となり,起返を促進するための顕著な施策がみられるようになるのは,だいたい寛文・延宝期(1661-81)ごろと考えてよい。その背景には,戦国末期から近世初頭にかけての急激な新田開発がこのころ一定の限界に達し,逆に,山林乱伐による水害の多発や労働力不足による古田畑の放棄といった状況が恒常化するようになってきたことがあげられよう。その結果,幕府は1666年(寛文6)の〈山川掟〉のごとき治水治山令と相まって,永荒地の起返を積極的に奨励するようになるのである。起返地は1721年(享保6)の幕令などによって,起返後数年間の免租などの恩典を受けたが,天明・天保の飢饉時を中心に田畑の荒廃はいっそう進行したため,幕藩領主は村々に〈荒地起返小前帳〉などの作成を義務づけて,荒地・起返地を厳重に掌握し,年貢収納量の増加をはかろうとした。
執筆者:安藤 正人
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…〈おこしかえり〉〈おきかえり〉と読むこともある。また起返になった田畑を起返地あるいは起返場所と言う。検地によって石高をつけられた田畑が荒地化した場合,その田畑は永荒(えいあれ)地として登録され年貢賦課の対象から除かれるので,当然年貢収納量の減少を招くことになる。…
…寛政改革ではこれへの対策が重要課題となり,水呑,小作人,奉公人などに農具代,夫食(ぶじき)を与えて手余地=荒地を開発させ,1790年(寛政2),91年,93年と続けて旧里帰農奨励令を公布し,帰村費や田畑購入費まで支給した。さらに93年,関東代官に長文の〈申諭〉を令達し,荒地起返(おこしかえし)の場所は元の租率に引き上げるように指示し,その意味を説明して,地主取分を制限して貧民一統を救済するものだとし,手余地の解消と本百姓経営の再建によって貢租収入の確保をねらった。畿内先進地農村でも中期以降,手余地が増加した。…
※「起返」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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