越後国魚沼郡一帯で織られていた皺(しぼ)のある先染めの高級麻織物。この地方の麻織物は越後布(えちごふ)の名で古くから知られてきたが、江戸前期、寛文(1661~1673)の頃小千谷(おぢや)近郊に移住した明石の浪人堀次郎将俊(ほりじろうまさとし)が平織の麻布の緯糸(よこいと)に強い撚(よ)りをかけて縮の製織に成功と伝える。貨幣・商品経済発展による需要の高まりを背景に、米沢や会津から良質の青苧(あおそ)を移入して元禄年間(1688~1704)急激に生産を伸ばした。縮は夏の高級衣料として、天明年間(1781~1789)には年産20万反に達したといわれ、全国的に普及した。小千谷、十日町(とおかまち)、堀之内(ほりのうち)の縮3市場は全国各地からの商人で賑わい、また縮行商人が江戸に出向いたり、縮問屋が江戸や京都に販売拠点を持つなど流通ルートも広がった。天保改革の奢侈禁止令などで一時打撃を受けたが、幕末までほぼ10万反前後の生産を維持した。青苧商人から買い入れた青苧は、苧績(おう)みののち、居坐機(いざりばた)にかけて織る。賃機制度は見られず縮織りは農村家内工業の範疇を出なかった。伝統の技術は小千谷縮と皺のない越後上布(じょうふ)に受け継がれ、国指定重要無形文化財・ユネスコ世界無形文化遺産。
[杉本耕一]
『『小千谷市史 上巻』(1969・小千谷市)』▽『『十日町市史 通史編2』(1995・十日町市)』▽『杉本耕一著「越後縮の生産と地域社会」(小林昌二監修、原直史・大橋康二編『日本海域歴史大系 第5巻 近世篇2』所収・2006・清文堂出版)』
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…新潟県小千谷地方で織られる苧麻(ちよま)の縮地で,その技術は重要無形文化財に指定。また,伝統的工芸品の指定をも受け越後上布に次ぐ精品であり,越後縮ともいう。1670年(寛文10)播州明石の浪人,明石次郎こと堀将俊が当地で越後布を改良,縮地を創案したのが始まりで元禄年間(1688‐1704)に将軍家の御用縮に指定,武士の式服に制定。…
…中心の塩沢は近世三国街道の宿場町として栄え,上十日町は上田船道の遡航終点であった。水が豊かで雪さらしもできることから越後縮,越後上布などの麻織物の産地として知られ,近年は塩沢紬(つむぎ),塩沢御召(おめし)など絹織物を生産している。町域の約4割を占める水田では魚沼産コシヒカリなどの優良米が生産される。…
…麻縮は慶長(1596‐1615)のころから夏物衣料として使われ,江戸中期には各地で織られ,縞,絣等があった。麻の小千谷縮はもと越後縮ともいい,1670年(寛文10)ころ,明石藩の浪士によって織り出された。綿縮は明和(1764‐72)から天明(1781‐89)のころ,千葉の漁師たちの間で川越縞を模して波崎縞が織られていたが,強撚糸使いの縮が創製され,のち銚子縮として広まったのが始まり。…
※「越後縮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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