越後国(新潟県)小千谷(おぢや)、十日町(とおかまち)、六日町(むいかまち)(現、南魚沼(みなみうおぬま)市)を中心に産する麻織物のうち、とくに上等なものを上布とよんでいる。同じ材料でも、緯糸(よこいと)に強撚(きょうねん)をかけて織り込み、縮みをもたせたものは小千谷縮(ちぢみ)、越後縮とよび、これと区別している。基本的には冬の長い農閑期の副業として、この地方に発展した織物であった。現在では福島、山形県で栽培される苧麻(ちょま)(カラムシ)を使い、指先で績(う)んで糸とし、居座機(いざりばた)を使って製織する。多くは先染(さきぞ)めによって縞(しま)や絣(かすり)を織り出し、雪晒(ゆきざらし)をする。また材料入手の関係と、大量生産が不可能なため、本製と称するもの以外に、ラミーの紡績糸を用いて代用することが多い。
この地方は古くから麻織物の生産地として知られ、縄文中期の土器に織物圧痕(あっこん)のあることが報じられ、また律令(りつりょう)時代には調庸布(ちょうようふ)が中央へ貢納されている。そして『吾妻鏡(あづまかがみ)』建久(けんきゅう)3年(1192)には、源頼朝(よりとも)が越布1000反を朝廷に献上、上杉謙信も永禄(えいろく)3年(1560)に麻織物を献上したことがみえている。そして領主の奨励もあって麻生産は増大し、佐藤信淵(のぶひろ)『経済要録』に「近来越後よりも上布と称する者を出す(略)奈良、近江(おうみ)共に上布と称する者あれども、越後上布より大に劣れり」とされるまでに至り、天明(てんめい)年間(1781~1789)には、年間20万反を超えるほどとなった。しかし以後衰退傾向をたどり、現在では麻着尺地の生産はごくわずかで、その技術は絹織物に転換している。しかし幕末には、生産者を問屋制的に支配し、織機を貸与し材料を提供し製品を回収するというマニュファクチュアが成立するまでに発展をみたのであった。これらの伝統的技術は、小千谷縮とともに「小千谷縮・越後上布」として国の重要無形文化財に指定されている。
[角山幸洋]
また、同名称で2009年(平成21)ユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産に登録された。
[編集部]
古来からの越後国(現,新潟県)魚沼地方の特産的麻織物。魚沼・頸城地方に産する青苧(あおそ)と呼ばれるチョマ(苧麻)の一種を原料としてつくった糸をいざり機で織ったもので,のち近世初期に改良され,糸に撚(よ)りをかけて〈絣〉をつくり,布に〈しぼ〉をつけて小千谷縮(おぢやちぢみ)となった。戦国期に日本でも木綿の栽培が始まったが,それ以前は一般的にはチョマを原料とする布が衣服に用いられており,小千谷市の三仏生(さぶしよう)遺跡からも紡錘器が出土している。奈良時代に庸,調として政府に上納され,正倉院に現蔵されているものもある。鎌倉期以降,越後上布は公家や武家への贈答に用いられるようになり,特産化してきた。室町期での京都の三条西家を本所として仕入れと販売を独占した越後青苧座は有名である。江戸初期の寛文年間(1661-73)に播州明石の浪人,堀次郎将俊が小千谷に来住して越後上布に改良を加え,小千谷縮として普及した。その技術は国指定無形文化財。
執筆者:土田 隆夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域ブランド・名産品」事典 日本の地域ブランド・名産品について 情報
…〈上布〉の語は,献上,上納された布の意との説もあるが,江戸時代には上布,中布,下布などの呼称があり,糸の細いものを上布と呼んだ。日本に自生,もしくは植栽する苧麻(ちよま)(カラムシ,ラミー)や大麻から採った苧(お)を,細かく精良に手績(てうみ)した糸を経緯に使い織り上げたもので,越後上布,宮古上布,八重山上布,能登上布等が歴史も古く有名である。上布は総じて細い糸を使うため軽くて通気性に富み,汗をかいても肌にべとつかず,夏季衣料の最高のものとされる。…
※「越後上布」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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