改訂新版 世界大百科事典 「辰丸事件」の意味・わかりやすい解説
辰丸事件 (たつまるじけん)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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1908年(明治41)2月5日、マカオ沖で日本の貨物船第二辰丸が清(しん)国官憲に密貿易の嫌疑で拿捕(だほ)抑留された事件。第二辰丸は香港(ホンコン)・安宅(あたか)商会が大阪・粟谷(あわや)商会より購入した銃器弾薬を搭載し、マカオへ輸送中であった。2月5日マカオ沖で潮待ちしていたところ、当地点が清国領海内にあり、しかも当地点で銃器弾薬を運搬船に移し、清国へ陸揚げしようとしていたとして抑留されたものである。日本政府は、第二辰丸が正当な税関手続を踏んでいたとして、その即時釈放と賠償を要求した。交渉は3月15日に至り日本側要求の線で決着した。しかし事件に憤慨した中国民衆による日貨排斥が広東(カントン)、香港に起こり、年末まで続いた。これは、初めての本格的な排日大衆運動であった。
[酒田正敏]
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…日本の強引な政治的,経済的進出に反対する,日貨排斥を名目とする中国の民族運動。全国的規模の対外ボイコット運動は,1905年(光緒31)の対米ボイコットに始まるが,そのうち対日ボイコットは,08年の第二辰丸(たつまる)事件(辰丸事件)に関するもの以下,09年の安奉鉄道改築問題,15年の二十一ヵ条要求反対,19‐21年の五・四運動と続き,ことに1923年の旅順・大連回収要求運動以降は,中国共産党の成立,労働運動の激化等を反映して,経済絶交運動と名を改め,1925,26年の五・三〇事件に関連する運動,1927,28年の山東出兵反対,1928,29年の北伐,済南事件に関するもの,1931,32年の満州事変,上海事変に反対する経済絶交運動など十数回におよんだ。1905年の対米ボイコット運動と,五・三〇事件に関する対英経済絶交運動を除くと,他のすべてが市場開拓を急ぐ日本の強引な進出反対に集中しているのが特徴である。…
※「辰丸事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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