網曳御厨(読み)あびこのみくりや

日本歴史地名大系 「網曳御厨」の解説

網曳御厨
あびこのみくりや

和泉国の海浜で網を引く漁民が供御の魚類を奉献した宮内省内膳司の料所。「和泉志」に穴田あなだ豊中とよなかつじみや池浦いけうら虫取むしとり長井ながい下条大津げじようおおつの地を「我孫子あびこ荘」というとある。我孫子往古漁労に従う部民を率いて大和朝廷に仕えた我孫公(新撰姓氏録)の本貫地とみられ、当御厨との関係も推測される。しかし元来、網曳御厨は漁民集団を主体にしているばかりでなく、以下にみるようにその供御人としての給免田に変遷があったことからしても、所在を一ヵ所に限定して考えることはできず、現泉大津市から貝塚市付近に至る海辺を中心に、和泉国内に散在したと考えられる。

「延喜式」(内膳司)によれば和泉国は年料として鯛・鰺を納め、「雑味塩魚廿石六斗」を網曳御厨が造進した。そして和泉・紀伊淡路・近江・若狭の五ヵ国の御厨が結番して、決められた日に御贄を貢進することになっていたが、和泉国御厨は子・巳の日の御贄を担当した。その漁民は律令制下では雑供戸とよばれる品部身分の者であったが、「延喜式」では「江・網曳御厨所徭丁、江卅人・網曳五十人」とみえ、徭丁五〇人が網曳御厨寄人として設定されていたことがわかる。

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百科事典マイペディア 「網曳御厨」の意味・わかりやすい解説

網曳御厨【あびこのみくりや】

宮内省内膳司の料所で,和泉国の海浜で網を曳(ひ)く漁民が供御(くご)の魚類を奉献した。料所は1ヵ所に限定されていたわけではなく,現大阪府泉大津市から貝塚市付近に至る海辺を中心に,和泉国内に散在していたと考えられる。《延喜式》によると徭丁50人が網曳御厨寄人(よりうど)として設定されており,〈雑味塩魚廿石六斗〉を造進した。彼らは供御を納める代わりに諸役免除の特権をもち,負担をめぐって国司との間にしばしば紛争を起こしている。また平安時代末期には和泉国内に多くの免田を給されており,鎌倉時代初期には従来の雑免田を返上したうえで,代わりに不輸免田65町を給された。このころには漁業特権も拡大しており,網曳御厨領の浦が和泉国内に散在していた。承久の乱後は免田や漁業特権をめぐる地頭との相論が発生,13世紀末には荘園領主との相論が起こっているが,近木(こぎ)荘にあった給免田は変質しつつも15世紀前半までは維持されており,漁業特権は中世末まで生き続けた。

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改訂新版 世界大百科事典 「網曳御厨」の意味・わかりやすい解説

網曳御厨 (あびこのみくりや)

和泉国の海岸部を領域とした内膳司領の御厨。和泉の海民は律令制以前から雑供戸として朝廷に魚貝類を貢進していた。9世紀末~10世紀初頭にかけて,雑供戸制の解体にともない,和泉では網曳50人が徭丁として置かれ,内膳司に〈日次御贄〉を貢納することとなる。この時期,彼らは和泉の河海での漁業権を独占的に認められ,その活動圏がそのまま御厨とされた。平安末期には国内に165町の雑役免田が募られ,しだいに田地との結びつきを強めるが,鎌倉初期の正治年中(1199-1201),改めて不輸免田65町が設定され,網曳の系譜をひき河海での漁業特権をもつ内膳司供御人(くごにん)とその免田からなる御厨として確立する。免田は近木郷,佐野・鶴原荘などに散在しており,鎌倉期には免田所在地の荘園領主・地頭との相論が続発する。室町期には供御人の支配から離脱する免田もあったが,彼らの河海での特権は中世を通じて生き続けた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「網曳御厨」の意味・わかりやすい解説

網曳御厨
あびこのみくりや

和泉(いずみ)国に存在した内膳司(ないぜんし)領の御厨。現在の大阪府泉大津市の我孫子(あびこ)を中心地域とし、近木荘(こぎのしょう)(貝塚市)、鶴原(つるはら)荘・佐野荘(泉佐野市)近辺にまで領域を広げていた。すでに平安時代初期、50人の徭丁(ようてい)が公認されており、いわゆる延喜(えんぎ)御厨整理令でも旧来よりの御厨として認可された。平安時代末期には、和泉国中から165町の免田(めんでん)を募ったとされるが、その発展の基礎には、「半ば漁釣(ぎょちょう)の事を宗(むね)とし」たという和泉国の富豪田堵(たと)の漁業への進出の動向(1012年「和泉国符案」)があった。しかし鎌倉時代以降、近隣荘園の領主、地頭との相論(そうろん)が絶えず、正治(しょうじ)年間(1199~1201)に65町に落ち着いた免田も近木荘の地頭などに侵害されたことが知られる。網曳御厨は和泉国沿岸の諸浦に対して強力な漁業権を有していたと想定されるが、その漁労活動の具体相を示す史料はなく、ただ中世末期以降の佐野の漁師の西国一帯への出漁の事実が、御厨漁民の特権的活動の伝統を引くものであろうと推定されるのみである。

[保立道久]

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