近藤真柄(読み)コンドウ マガラ

20世紀日本人名事典 「近藤真柄」の解説

近藤 真柄
コンドウ マガラ

大正・昭和期の婦人運動家,評論家 元・日本婦人有権者同盟会長。



生年
明治36(1903)年1月30日

没年
昭和58(1983)年3月18日

出生地
東京・新宿

本名
近藤 まがら(戸籍)

旧姓(旧名)
堺 真柄(サカイ マガラ)

学歴〔年〕
成女高女〔大正9年〕卒

経歴
社会主義運動家・堺利彦長女に生まれ、大正10年18歳のとき、山川菊栄、伊藤野枝らと、社会主義婦人運動をめざす赤瀾会(せきらんかい)を結成。11年日本共産党創立とともに入党。14年政治研究会婦人部勤務。昭和4年無産婦人同盟を結成。7年社会大衆婦人同盟書記長となり、婦人参政権獲得運動では市川房枝らと行動を共にした。戦後は日本婦人有権者同盟のリーダーとして政界浄化運動の先頭に立ち、46年から49年まで同会会長。著書に「わたし回想」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「近藤真柄」の意味・わかりやすい解説

近藤真柄【こんどうまがら】

婦人運動家。社会主義者堺利彦の長女として東京に生まれる。1920年成女高等女学校卒。翌年日本初の社会主義婦人団体赤瀾(せきらん)会結成に最年少で世話人となり,綱領起草,この年のメーデーに女性として初めて参加した。同年11月,軍隊に反戦ビラを撒いた軍隊赤化事件で検挙され,禁錮4ヵ月。その後無産婦人同盟などに参加し,1938年アナーキズム活動家近藤憲二結婚。第2次大戦後は日本婦人有権者同盟などで活動。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「近藤真柄」の解説

近藤真柄
こんどうまがら

1903.1.30~83.3.18

大正・昭和期の社会運動家。東京都出身。堺利彦の長女。1歳で生母死別,父の入獄などの辛酸を嘗(な)める。1921年(大正10)赤瀾会(せきらんかい)結成に参加,翌年共産党に入党,27年(昭和2)奥むめおらと婦人政治運動促進会を組織,婦人戦線の統一をめざす。婦人参政権運動にも参加,第2次大戦後は日本婦人有権者同盟に入り,70~72年会長。夫は憲二。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「近藤真柄」の解説

近藤真柄 こんどう-まがら

1903-1983 大正-昭和時代の婦人運動家。
明治36年1月30日生まれ。堺利彦の長女。近藤憲二の妻。大正10年日本初の女性社会主義団体赤瀾(せきらん)会の設立に参加。翌年共産党入党。奥むめお,市川房枝らと婦人参政権運動をすすめる。昭和45年日本婦人有権者同盟会長。昭和58年3月18日死去。80歳。東京出身。成女高女卒。著作に「わたしの回想」。

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367日誕生日大事典 「近藤真柄」の解説

近藤 真柄 (こんどう まがら)

生年月日:1903年1月30日
大正時代;昭和時代の婦人運動家;評論家。日本婦人有権者同盟会長
1983年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の近藤真柄の言及

【堺真柄】より

…社会運動家。堺利彦の長女として東京に生まれる。成女高等女学校卒業。1921年赤瀾会結成に最年少で世話人となり,第2回メーデーに女性として初めて参加。同年11月軍隊赤化事件で検挙される(禁錮4ヵ月)。22年7月日本共産党に入党したが,その後離れ,政治研究会婦人部,無産婦人同盟,社会大衆婦人同盟などで無産婦人運動を続けた。戦後は日本婦人有権者同盟,〈大逆事件の真実を明らかにする会〉などで活動。この間,38年に近藤憲二と結婚し,近藤姓となる。…

※「近藤真柄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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