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井上靖 いのうえ やすし

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美術人名辞典の解説

井上靖

小説家・詩人。北海道生、伊豆湯ヶ島で育つ。京大哲学科卒。在学中は同人誌に詩を発表し、各種懸賞小説に入選。卒業後、毎日新聞社に入社し、勤務の傍ら『闘牛』で芥川賞受賞。退職後は新聞小説作家として地位を確立する。主な著書に『猟銃』『氷壁』『天平の甍』『しろばんば』『敦煌』『楼蘭』等。日本芸術院会員日本ペンクラブ会長・日中文化交流協会会長。文化勲章受章。平成3年(1991)歿、83才。

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デジタル大辞泉の解説

いのうえ‐やすし〔ゐのうへ‐〕【井上靖】

[1907~1991]小説家。北海道の生まれ。新聞記者から作家となり、新聞小説、歴史小説で新境地を開いた。文化勲章受章。作「闘牛」「天平(てんぴょう)の甍(いらか)」「あすなろ物語」など。

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百科事典マイペディアの解説

井上靖【いのうえやすし】

小説家。北海道旭川の生れ。京大哲学科卒。《毎日新聞》記者となり,学生時代に書いていた小説の筆を断つ。1949年,40歳のとき,《闘牛》を書き《文学界》に発表,これが芥川賞を受け作家生活に入る。
→関連項目山崎豊子

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

井上靖 いのうえ-やすし

1907-1991 昭和後期-平成時代の小説家。
明治40年5月6日生まれ。毎日新聞につとめ,昭和25年「闘牛」で芥川賞。26年作家生活にはいり,「氷壁」など中間小説とよばれる物語性ゆたかな作品や,「天平の甍(いらか)」をはじめとする歴史小説で人気をえた。51年文化勲章。芸術院会員。平成3年1月29日死去。83歳。北海道出身。京都帝大卒。作品はほかに「本覚坊遺文」「孔子」など。
【格言など】自分で歩き,自分で処理して行かねばならぬものが,人生というものであろう(「わが一期一会」)

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大辞林 第三版の解説

いのうえやすし【井上靖】

1907~1991) 小説家。旭川生まれ。京大卒。行動的なニヒリストを描く「闘牛」で芥川賞受賞。「氷壁」などの中間小説で現代社会の問題点を追究。歴史小説に「天平の甍」「敦煌」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

井上靖
いのうえやすし

[生]1907.5.6. 北海道,旭川
[没]1991.1.29. 東京
小説家。金沢の第四高等学校理科,九州大学法文学部 (中退) を経て 1936年京都大学哲学科卒業。京大在学中,戯曲『明治の月』 (1935) が新橋演舞場で上演され,時代小説『流転 (るてん) 』 (36) で千葉亀雄賞を受けた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

井上靖
いのうえやすし
(1907―1991)

小説家。明治40年5月6日、北海道旭川(あさひかわ)生まれ。井上家は代々伊豆湯ヶ島の医家であった。父隼雄は軍医で、旭川第七師団勤務中に長男靖が生まれた。3歳のとき父母のもとを離れて湯ヶ島に帰り、曽祖父(そうそふ)潔の妾(めかけ)であったかのの手で育てられる。沼津中学を経て、1927年(昭和2)旧制四高に入学し、柔道部選手生活を送る。30年、九州帝国大学法文学部に入学したが、上京して福田正夫の主宰する詩誌『焔(ほのお)』の同人となる。32年、京都帝国大学哲学科に転じ、同人雑誌『聖餐(せいさん)』を刊行。36年卒業後、『サンデー毎日』の懸賞小説に『流転』(1936)が入選したのが機縁で、毎日新聞大阪本社に入社。37年、日華事変に応召して華北に駐屯したが、病気で内地送還となり社に復帰。以後、宗教記者、美術記者を勤め、かたわら安西冬衛(あんざいふゆえ)、野間宏(のまひろし)など関西の詩人と交わる。終戦後、突如あふれるように詩を発表し始める。48年(昭和23)東京本社に転じ、50年『闘牛』(1949)によって芥川(あくたがわ)賞を受賞。
 井上の文壇登場後、中間小説と新聞小説の全盛期が訪れ、多作に耐えつつ、『あした来る人』(1954)、『氷壁』(1956~57)などで新聞小説作家の地歩を固める一方、『異域の人』(1953)などで歴史小説の主題も温めていった。『天平(てんぴょう)の甍(いらか)』(1957)、砂漠の小国の興亡を描いた『楼蘭(ろうらん)』(1958)、ジンギス・カンを描いた『蒼(あお)き狼(おおかみ)』(1959~60)ののち、高麗(こうらい)側から元寇(げんこう)をとらえた『風濤(ふうとう)』(1963)で彼の歴史小説は堅固な年代記的手法を確立し、この手法は『おろしや国酔夢譚(すいむたん)』(1966~67)でいっそう深化され、歴史の運命相を映し出している。さらに、利休の死の秘密に取り組んだ『本覚坊遺文(ほんかくぼういぶん)』(1981)では伝統文化の本質に迫り、歴史小説のいっそうの深化をみせている。また母やゑの老耄(ろうもう)を描いた『月の光』(1969)などの短編で、人間の原存在に触れる動きもみせている。多くの作品が諸外国で翻訳され国際的評価も受けている。1964年芸術院会員に推され、76年文化勲章受章。[福田宏年]
『『井上靖小説全集』全32巻(1972~75・新潮社) ▽『井上靖歴史小説集』全11巻(1981~82・岩波書店) ▽福田宏年著『井上靖の世界』(1972・講談社) ▽『現代日本文学アルバム15 井上靖』(1973・学習研究社) ▽長谷川泉編『井上靖研究』(1974・南窓社) ▽福田宏年著『井上靖評伝覚』(1979・集英社)』

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世界大百科事典内の井上靖の言及

【天平の甍】より

…井上靖(1907‐91)の歴史小説。1957年《中央公論》に連載。…

【歴史小説】より

…その中で最も有名な作品の一つ《山椒大夫(さんしようだゆう)》を発表した1915年に,彼は《歴史其儘(そのまま)と歴史離れ》という文章を書いているが,彼の歴史小説方法論として重要な文献である。 それ以後,たとえば中里介山の《大菩薩峠(だいぼさつとうげ)》(1934完結)や大仏(おさらぎ)次郎の《鞍馬天狗》シリーズのような,いわば日本におけるスコット風の国民文学の出現とか,第2次世界大戦後における井上靖の多くの歴史小説,とくにその一つである《蒼(あお)き狼》をめぐって著者と大岡昇平との間になされた歴史小説論争など,さまざまな興味ある問題がある。 どこの国でも,いわゆる〈古きよき時代〉を郷愁的に懐かしむ小説は多く,またその中のかなりの作品が,ときに映画やテレビドラマなど他のメディアを通じて,大きな人気を呼ぶことがある。…

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