郡山宿本陣(読み)こおりやましゆくほんじん

日本歴史地名大系 「郡山宿本陣」の解説

郡山宿本陣
こおりやましゆくほんじん

郡山宿東町にあり、代々梶家が勤めた。門脇に椿の老樹があったため「椿つばきの本陣」と通称される。享保三年(一七一八)宿内の火災で類焼したが、同六年に再建された建物が現存、国の史跡に指定。主屋は入母屋造本瓦葺錣庇付きで、表門には大名宿泊時に提灯をかけた掛金物があり、門から玄関までは石敷で、「ここは郡山御本陣の椿、どんな雀でも巣をかける」と謡われた椿は現在二代目。建物内部には大名や家老の浴室・便所の跡・足軽の溜り場・調理場の大膳職の詰所跡があり、再建当時の間取りでは、玄関一五畳・六畳間一〇室・八畳間四室・四畳間四室・一〇畳間一室・一一畳間一室、ほかに土蔵四棟という豪壮なものであった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「郡山宿本陣」の解説

こおりやまじゅくほんじん【郡山宿本陣】


大阪府茨木市宿川原町にある宿場跡。江戸時代、西国大名などが宿泊したところで、御成門を入ると見事な椿の木があったため、椿の本陣と愛称されてきた。京都伏見から西宮を結ぶ西国街道のほぼ中間に位置し、現存する本陣のなかでもよく旧態を残しており、江戸時代の交通史を語り伝える重要な遺跡であることなどから、1948年(昭和23)に国の史跡に指定された。建物は1718年(享保3)に類焼に遭うが、3年後に再建された。旧西国街道に南面し、入り母屋本瓦葺き母屋2棟、土蔵3棟、納屋1棟、茶席1棟がおもな建物で、それに四脚門の表門、玄関、番所、籠置場、上段の間を備える。宿帳に残されている宿泊者には、忠臣蔵で有名な赤穂(あこう)城主浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が、1697年(元禄10)から1701年(同14)まで毎年宿泊した記録が残されている。平成の大修理が行われ、公開のための展示施設なども設けられた。JR東海道本線茨木駅から阪急バス「宿川原」下車、徒歩約2分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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