古代の官稲の一種。諸国の郡ごとに置かれ,国司の管理のもとに出挙(すいこ)息利して国衙の諸用途に充てられた出挙稲。その創設年代は明らかでないが,おそらく国郡制の創設された大化年間にさかのぼるであろう。712年(和銅5)に諸国の郡稲が乏少したので,正税(しようぜい)より補充したが734年(天平6)の官稲混合令により正税に混合,一本化された。《正倉院文書》に隠岐(天平2年),越前(天平4年),播磨(天平4年?)の郡稲帳が残り,それによって郡稲支出の費目をみると,元日拝朝郡司等食料,正月斎会読経料,年料交易進上物価料,国司部内巡行食料,往来駅伝使食料などの多岐にわたり,国衙の経常経費の主要部分が賄われていたことがわかる。
→官稲 →正税
執筆者:薗田 香融
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
律令制下の公出挙稲(くすいことう)の一つ。郡ごとに置かれ、その出挙利稲(りとう)で国郡衙(が)の諸経費をまかなった。郡稲の起源については、令制前の国造(くにのみやつこ)の時代にまでさかのぼるという説と、律令体制成立後に正税(しょうぜい)から分かれたとする説とがある。収支の詳細は、732年(天平4)の越前国(えちぜんのくに)郡稲帳や年次不詳の播磨国(はりまのくに)郡稲帳から知られ、出挙量は正税出挙稲に比べて少なく、支出は伝使食料(でんしじきりょう)、国司部内巡行(じゅんこう)食料、土毛交易価料(どもうこうえきかりょう)など多岐にわたっている。そのため、712年(和銅5)には、郡稲乏少のため大税の一部が割き取られて郡稲の補充がなされている。734年、他の雑官稲(ぞうかんとう)とともに正税に混合されて消滅した。
[寺内 浩]
『薗田香融著「郡稲の起源」(岸俊男教授退官記念会編『日本政治社会史研究 中巻』所収・1984・塙書房)』▽『山里純一著『律令地方財政史の研究』(1991・吉川弘文館)』
…当時の国家財政上,重要な意味をもった。賦役令土毛条義解には官稲を分かって大税,籾穀,郡稲の3種としている。大税(正税(しようぜい))は,その一部を舂米(しようまい)として京に進納するほか,出挙して利息を得,それを国衙の臨時費に充当した。…
…天平期のものは20余通が《正倉院文書》として残っている。734年(天平6)以前には正税のほかに郡稲,公用稲,駅起稲などの雑多な官稲が独立財源として設定されており出挙の利息で独自の費用をまかなっていたが,この年にほとんどの雑官稲は正税に一本化されることになった。このとき混合から除外された駅起稲なども739年に混合された。…
※「郡稲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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