改訂新版 世界大百科事典 「都市憲章」の意味・わかりやすい解説
都市憲章 (としけんしょう)
city charter
アメリカの都市は州議会から付与される都市憲章によって自治権を認められている。その内容,形式は多様だがおおむね都市の区域,権限,行政組織,税財政,選挙,職員の任命方法などを定めている。都市憲章が自治権保障の法形式として普及をみるのは19世紀以降である。南北戦争後の20~30年間は〈市政の暗黒時代〉とよばれる。都市人口は急速な経済発展の結果膨張したが,各市とも行政組織は環境の変動に応じられなかったばかりか,職業政治家による市政の私物化と腐敗が続出した。州議会は個別都市を対象とする特別立法をもって市政に介入したが,それは市政浄化をこえ,州の過剰介入に結び着いた。このような中から,州憲法の改正による特別立法の禁止と都市自治の確立を求める〈ホーム・ルール運動〉が起きる。1875年,ミズーリ州は憲法を改正し,人口10万人以上の市に自主的な憲章制定権を与えた。76年にセント・ルイス市はこの規定に基づき憲章を制定したが,79年にはカリフォルニア州も同様の憲法規定を設けた。これ以降,都市憲章は全国的に普及するが,この初期の都市憲章を〈自治憲章〉ないし〈ホーム・ルール憲章〉という。これは都市自治の拡充に多大な貢献をしたが,他方,州と都市との政治的対立を招いた。自治憲章は20世紀に入るとしだいに退潮し,代わって州議会がいくつかの憲章モデルを示し,都市に選択させる〈選択憲章制度〉が導入された。現在ではこの形式が一般化している。このほか,州によってはすべての都市に画一的自治制度を適用するために,画一的都市憲章の付与を一般法で制定しているところもある。また,人口,面積,課税評価額などによって都市に等級を付け,等級ごとに同一の憲章付与を一般法に規定している州もある。アメリカの都市は州の創造物と観念されているが,都市憲章を自治権の基盤とするため都市の政治・行政制度,権限は日本のように画一的でない。
以上のようなアメリカにみる都市憲章は,戦後改革時にGHQによって日本への導入が試みられた。GHQが明治憲法の改正に際して示した憲法草案〈マッカーサー草案〉は,87条で地方政府は〈国会の制定する法律の範囲内で彼等自身の憲章を作成する〉と記し,自治規範として都市憲章の制定権を認めていた。しかし同条項は日本側との交渉の過程において現行憲法94条が規定するごとく地方公共団体は〈法律の範囲内で条例を制定することができる〉と修正された。この修正に至った事情は今日なお明らかでないが,都市憲章制定権は,個別的な自治立法の制定権に限定され,しかも地方自治法第14条は自治立法権の範囲を〈法令に違反しない限りにおいて〉とせばめたのであった。このように現行法制は都市憲章を認めるものでないが,各都市はそれぞれの個性をふまえて都市憲章をもつのが望ましいとする意見には,根強いものがある。戦後日本の諸都市は,一種のモラル・コードというべき平和や福祉,環境改善に関する宣言を〈憲章〉として制定してきた。こうした歴史をもとに神奈川県川崎市は,1972年から73年にかけて〈川崎市都市憲章条例〉の制定を試みた。これは〈川崎市の最高条例であって,市長等および事業者等は,市民とともにこの憲章を尊重し擁護する義務を負う〉とし,〈第1編平和,市民主権,自治〉において市民の権利と義務を規定し,〈第2編人間都市川崎の創造〉で市のまちづくり基本構想を定めるものであった。これは従来のモラル・コード型憲章を総合化したものであったが,市議会の可決するところとならなかった。日本ではアメリカと違い自治体の権限は多数の個別法によって規定されている。したがって,こうした法構造の下では,アメリカ型の都市憲章制定の余地は少ない。
執筆者:新藤 宗幸
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報