国指定史跡ガイド 「醍醐寺境内」の解説
だいごじけいだい【醍醐寺境内】
京都府京都市伏見区醍醐東大路町にある真言宗醍醐派総本山の寺院。伏見区東方に広がる標高450mの醍醐山(笠取山)の山上(上醍醐)と山下(下醍醐)にわたって寺域が広がる。874年(貞観16)、空海の孫弟子にあたる聖宝(しょうぼう)が、山上で醍醐水の霊泉を得、堂宇を建立して准胝(じゅんてい)・如意輪の両観音像を安置したことに始まる。その後、醍醐天皇は醍醐寺をみずからの祈願寺として手厚く庇護し、907年(延喜7)ごろ創建の薬師堂、五大堂などができて上醍醐の伽藍(がらん)が完成する。次いで山麓の下醍醐に建造が計画され、釈迦堂や951年(天暦5)建立の五重塔が落成した。さらに、座主勝覚のときに伽藍整備が進み、1115年(永久3)に三宝(さんぼう)院が建立された。その後、応仁の乱など相次ぐ戦乱で下醍醐は荒廃したが、五重塔だけは難を逃れて往時の姿をとどめている。桃山時代の義演のころ、豊臣秀吉による「醍醐の花見」を機に境内は整備され、伽藍、三宝院、庭園などが復興された。下醍醐にある平安時代後期建立の金堂(もとは釈迦堂)は、本尊である薬師如来を祀り、鎌倉時代と桃山時代の手法も混在し、五重塔とともに国宝になっている。上醍醐では薬師堂、清瀧宮(せいりゅうぐう)拝殿が国宝で、そのほか建造物・絵画・仏像・書跡など多くの文化財が伝わっている。准胝堂は西国観音霊場11番札所として親しまれていたが、2008年(平成20)に焼失。五大堂は五大力(ごだいりき)さん信仰の中心として、今も広く信仰を集めている。義演の時代に整備された三宝院庭園は、1952年(昭和27)に特別史跡・特別名勝に、境内は1967年(昭和42)に国の史跡に指定された。1994年(平成6)には「古都京都の文化財」の一部として、世界遺産に登録された。JR東海道本線ほか山科駅から京阪バス「醍醐三宝院」下車、徒歩すぐ。