野田英夫(読み)のだひでお

百科事典マイペディアの解説

野田英夫【のだひでお】

洋画家。米国生れ。幼時に日本に帰ったが,1926年渡米してカリフォルニアの美術学校に学んだ。のちニューヨークに移り,1934年ロックフェラー・センター壁画を制作。同年帰国して二科会に出品し,1936年―1937年の滞米後は新制作協会会員。ペーソスとユーモアをまじえて労働者,黒人,都会などを描写した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

野田英夫 のだ-ひでお

1908-1939 昭和時代前期の洋画家。
明治41年7月15日カリフォルニア生まれ。カリフォルニア美術専門学校を中退してニューヨークのウッドストック美術家村でテンペラ画,壁画を研究,制作。日本にかえり,昭和12年新制作派協会に参加した。昭和14年1月12日死去。32歳。作品に「帰路」「サーカス」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

野田英夫
のだひでお
(1908―1939)

洋画家。アメリカ、カリフォルニア州サンタ・クララに生まれる。父は日系アメリカ人。小・中学校を郷里熊本で過ごし、1926年(大正15)渡米。カリフォルニア美術専門学校に学ぶが、31年(昭和6)中退してニューヨークのウッドスタック美術家村に移り住む。33年サンフランシスコ美術家協会展で受賞、またニューヨークのロックフェラー・センターでのリベラの壁画制作の助手となる。34年ホイットニー美術館の全米美術展に出品して帰国、翌年の二科展に出品。37年母校ピモンド・ハイスクールの壁画を制作後、ヨーロッパを経て帰国し、新制作派協会会員となる。都会生活の哀歓を好んで描き、代表作は『都会』『帰路』『サーカス』など。[小倉忠夫]

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世界大百科事典内の野田英夫の言及

【アメリカ美術】より

…アメリカでは19世紀末ごろジャポニスムが隆盛し,20世紀初頭には〈フェノロサ・ダウ方式〉という日本画の筆づかい等をとり入れた日本式美術教育が実施された。清水登之(とし)(1887‐1945),国吉康雄,石垣栄太郎(1893‐1958),野田英夫(1908‐39)らは,例外的にアメリカで学び活動した画家で,1910‐40年代にアメリカの現実社会をやや哀愁を帯びた調子で描いた。第2次大戦後は,アメリカ美術が日本の現代美術に直接大きな影響を与える。…

※「野田英夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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