野田 英夫
ノダ ヒデオ
昭和期の洋画家
- 生年
- 明治41(1908)年7月15日
- 没年
- 昭和14(1939)年1月12日
- 出生地
- 米国・カリフォルニア州サンタクララ
- 出身地
- 熊本県
- 別名
- 米国名=ノダ ベンジャミン
- 学歴〔年〕
- 熊本中(現・熊本高)〔大正15年〕卒,カリフォルニア美術専門学校〔昭和6年〕中退
- 主な受賞名〔年〕
- ウッドストック美術協会賞〔昭和7年〕「ウッドストックの少女」,マリア・ストーン賞〔昭和7年〕「初冬」
- 経歴
- 日系移民の子としてカリフォルニアで生まれる。明治44年熊本に帰国し、大正15年熊本中を卒業後、渡米。昭和4年カリフォルニア美術専門学校に入学。6年ニューヨークへ出て、ウッドストック村に住み、テンペラ画などを学ぶ。その後、ディエゴ・リベラの助手などをつとめ、前衛的な絵画思考、社会主義的な思想の影響を受けた。一方、恐慌下の美術家救済のために政府が行った壁画制作事業「移民」に加わり、壁画の手法を身につけた。ウッドストック美術協会展、ホイットニー全米美術展などで賞を受ける。9年と11年に帰国し二科展に出品、12年新制作協会会員となる。代表作に「雑誌を読む女」「ウッドストックの少女」「初冬」「二人の子供」「サーカス」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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野田英夫
のだひでお
(1908―1939)
洋画家。アメリカ、カリフォルニア州サンタ・クララに生まれる。父は日系アメリカ人。小・中学校を郷里熊本で過ごし、1926年(大正15)渡米。カリフォルニア美術専門学校に学ぶが、31年(昭和6)中退してニューヨークのウッドスタック美術家村に移り住む。33年サンフランシスコ美術家協会展で受賞、またニューヨークのロックフェラー・センターでのリベラの壁画制作の助手となる。34年ホイットニー美術館の全米美術展に出品して帰国、翌年の二科展に出品。37年母校ピモンド・ハイスクールの壁画を制作後、ヨーロッパを経て帰国し、新制作派協会会員となる。都会生活の哀歓を好んで描き、代表作は『都会』『帰路』『サーカス』など。
[小倉忠夫]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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野田英夫【のだひでお】
洋画家。米国生れ。幼時に日本に帰ったが,1926年渡米してカリフォルニアの美術学校に学んだ。のちニューヨークに移り,1934年ロックフェラー・センターの壁画を制作。同年帰国して二科会に出品し,1936年―1937年の滞米後は新制作協会会員。ペーソスとユーモアをまじえて労働者,黒人,都会などを描写した。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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野田英夫 のだ-ひでお
1908-1939 昭和時代前期の洋画家。
明治41年7月15日カリフォルニア生まれ。カリフォルニア美術専門学校を中退してニューヨークのウッドストック美術家村でテンペラ画,壁画を研究,制作。日本にかえり,昭和12年新制作派協会に参加した。昭和14年1月12日死去。32歳。作品に「帰路」「サーカス」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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野田 英夫 (のだ ひでお)
生年月日:1908年7月15日
昭和時代の洋画家
1939年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の野田英夫の言及
【アメリカ美術】より
…アメリカでは19世紀末ごろジャポニスムが隆盛し,20世紀初頭には〈フェノロサ・ダウ方式〉という日本画の筆づかい等をとり入れた日本式美術教育が実施された。清水登之(とし)(1887‐1945),国吉康雄,石垣栄太郎(1893‐1958),野田英夫(1908‐39)らは,例外的にアメリカで学び活動した画家で,1910‐40年代にアメリカの現実社会をやや哀愁を帯びた調子で描いた。第2次大戦後は,アメリカ美術が日本の現代美術に直接大きな影響を与える。…
※「野田英夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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