野見山暁治(読み)のみやまぎょうじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「野見山暁治」の意味・わかりやすい解説

野見山暁治
のみやまぎょうじ

[生]1920.12.17. 福岡,穂波
[没]2023.6.22. 福岡,福岡
洋画家。80年以上にわたる画業を通じて,具象画との間を行き来しながら数多くの抽象画を描き,また戦没画学生の遺作の収集・展示に熱心に取り組んだ。
福岡県穂波村(→飯塚市)の炭鉱を経営する家に生まれ,1938年東京美術学校(→東京芸術大学)油画科に入学。1942年に春陽会展で初入選。第2次世界大戦中は旧満州に出征したが,病気により内地送還されて福岡の療養所で終戦を迎える。1952年から 12年間ヨーロッパに滞在,サロン・ドートンヌ会員となりパリで評価される。日本でも1958年に,具象画家の登竜門である安井賞を,油彩画『岩上の人』(1958)で受賞した。1964年に帰国し,東京や福岡で制作。東京芸術大学助教授,教授を歴任し,後進を指導育成した。また,みずからの戦争体験から,戦没画学生の遺作を収集・展示する「戦没画学生慰霊美術館 無言館」(長野県上田市)の設立(1997)にもかかわった。代表作に『ベルギーのボタ山』(1954),『風景(ライ・レ・ローズ)』(1960),『口うるさい景色』(1999)など。随筆名手としても知られ,パリでの思い出を綴った『四百字のデッサン』で 1978年日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。1996年毎日芸術賞,2000年文化功労者,2014年文化勲章など受賞・受章多数。2023年,従三位に叙された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野見山暁治」の解説

野見山暁治 のみやま-ぎょうじ

1920- 昭和後期-平成時代の洋画家。
大正9年12月17日生まれ。昭和23年自由美術家協会展で協会賞。27年フランスにわたり,椎名其二(そのじ)の影響をうける。33年「岩上の人」が安井賞。39年帰国。47-56年母校東京芸大の教授。平成4年芸術選奨。12年文化功労者。心象風景を独特の有機的形態でえがく。戦没画学生慰霊美術館「無言館」の開設・運営につくしたとして信濃デッサン館館主窪島誠一郎とともに17年菊池寛賞。26年文化勲章。福岡県出身。随筆に「四百字のデッサン」(昭和53年日本エッセイスト・クラブ賞)など。

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百科事典マイペディア 「野見山暁治」の意味・わかりやすい解説

野見山暁治【のみやまぎょうじ】

洋画家。福岡県生れ。1943年東京美術学校卒。1942年春陽会初入選。1943年応召。1948年上京し,自由美術家協会展に出品。1950年初個展。1952年から1954年渡欧。1958年《岩上の人》で第2回安井賞。1983年北九州市立美術館で回顧展を開く。1996年練馬区立美術館で個展。《四百字のデッサン》で,1978年日本エッセイスト・クラブ賞。《野見山暁治作品集》(1994年)がある。2014年文化勲章受章。

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