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美術団体。1937年2月,長谷川三郎,村井正誠,山口薫,津田正周,浜口陽三,瑛九らによって結成された。35年ころをピークとする小グループによる前衛運動の中から生まれた,抽象主義を奉ずる画家たちの集団で,創立会員のほかに荒井竜男,難波田竜起,オノサト・トシノブ,中村真らもいた。軍国化の進行につれて前衛美術への圧力が増し,40年に〈自由〉の文字を避けて美術創作家協会と改称している。しかし46年に元に戻って再出発し,森芳雄,井上長三郎,麻生三郎,鶴岡政男,糸園和三郎らの参加で戦後美術の展開の大きな震源になった。その後,50年に村井,荒井,山口,矢橋六郎,朝妻治郎らが退会してモダンアート協会を,64年には森,大野五郎,寺田政明らが退会して主体美術協会をつくるなどの変化があった。同年自由美術協会と改称。絵画部と彫刻部をもち,毎年秋,東京都美術館で公募展を開いている。
執筆者:原田 実
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
絵画、彫刻、版画の美術団体。1937年(昭和12)2月、当時前衛派ないし抽象派と目されていた長谷川(はせがわ)三郎、浜口陽三、村井正誠(まさなり)、矢橋六郎、山口薫ら9名が、本格的前衛芸術の推進を目的として結成。「純粋芸術精神と自由な発言形式のもとに広く芸術の場を開放しよう」との主旨で、同年7月第1回公募展を開催した。その後40年、戦時体制下で当局の干渉にあい、美術創作協会と改称したが、戦後の46年(昭和21)旧名に復帰した。50年に村井、山口らが離脱してモダンアート協会を創立、また64年には麻生(あそう)三郎、寺田政明(まさあき)、森芳雄(よしお)ら38名が脱退、主体美術協会を結成するなど分裂変遷が激しいが、同年より自由美術協会と改称、毎年10月公募展を開催し現在に至っている。
[佐伯英里子]
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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