金剛院跡(読み)こんごういんあと

日本歴史地名大系 「金剛院跡」の解説

金剛院跡
こんごういんあと

[現在地名]川内市中福良町

中福良なかふくら町東部、れいめい高校裏の丘上にあった。観現山平嶺石寺と号し、真言宗本尊は不動明王。古くは平礼石ひられいし寺ともよばれた。また以前の山号が山内山であることからか(三州御治世要覧)、山内寺ともよばれたらしい。創建の時期は不明だが、開山は日羅と伝える(三国名勝図会)。建仁三年(一二〇三)五月二七日の薩摩郡司平忠直譲状(旧記雑録)に平礼石寺とみえ、座主職が忠直七男亀童丸(のち忠兼)に譲与されている。同状によれば古寺である当寺は故忠永の時に修造され、料田を寄進され、さらにその後忠直により四至を東は田畔、南は河、西は西山西際、北は温谷と定められた地が寄進されたといい、庄国両方の御公事の課されない地であった。あるいは当寺は薩摩郡司一族により建立された寺であろうか。嘉禎四年(一二三八)五月座主忠兼は寺領四至内の万雑公事・検断等の免除を惣地頭兼守護所に願出、許可された。


金剛院跡
こんごういんあと

[現在地名]神埼町大字神埼三丁目

櫛田くしだ宮の東方に近接してあった同宮の神宮寺。建立の年代は不明。山号は櫛山。天台宗。寛喜元年(一二二九)三月鎌倉幕府は覚賀を櫛田宮の学頭兼曼陀羅供職に就任させており、金剛院は櫛田宮の本地仏を薬師如来と定めて、院内に本地堂を建てた。

弘安一〇年(一二八七)六月二日の櫛田宮薬師供免相伝状(櫛田神社文書)に、

<資料は省略されています>

とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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