( 1 )幕末の洋行使節によって紹介されたアメリカのたいまつ行進が、たいまつを提灯に変えて行なわれたもの。明治六年(一八七三)に、医学校の外国人教授ミルレルの誕生日祝いに教員らが行なったものが最初という。
( 2 )日清戦争(一八九四‐九五)や日露戦争(一九〇四‐〇五)の戦勝に際して大々的に行なわれ、明治三〇年代後半から一般化し、国家にとって祝うべき日に広く行なわれるようになった。
戦勝や各種の祝いごとなどの際に,祝意を表するために,たくさんの人々が火をともした提灯を持って,夜間,列を組んで街路をねり歩く行事。1873年に開成学校の教職員が同校のミルレル教頭の誕生日を祝って行ったのが最初であるとされる。ところで,提灯行列の原型は,1860年(万延1)に幕府使節がアメリカのフィラデルフィアを訪れた際に,手に手に花火を持った約3000人の市民が楽隊の演奏にあわせて市中を行進した歓迎行事に由来するという。そのため,89年2月11日,東京大学の教職員と学生が憲法の発布を祝って行った際には,たいまつをかかげて宮城前広場まで市中を行進した。だが,木造家屋の多い日本の都市では,裸火は火災の危険を伴うことから,〈提灯行列〉という様式が考案され,これが定着するようになり,さらにこれが一種の流行現象を呈するようになった。なかでも,1900年の皇太子成婚,04年5月8日の日露戦争緒戦戦勝などに際して行われた提灯行列は大規模なもので,とくに後者のそれは,20人の死者を出したほどであった。なお,第2次大戦後は,60年の安保条約改定反対デモなどに提灯行列がとり入れられるようになったりした。また,夜間の提灯行列に対し,昼間学童などに日の丸の小旗をもたせて行うものを旗行列と呼んだ。
執筆者:加藤 秀俊
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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