鈔法(読み)しょうほう(その他表記)chāo fǎ

改訂新版 世界大百科事典 「鈔法」の意味・わかりやすい解説

鈔法 (しょうほう)
chāo fǎ

中国の宋代に発達した専売法。専売の方式には政府機関の手で消費者への販売を行う官売法と商人に販売をまかせる通商法とがあり,通商法では商人に政府発行の手形塩鈔,茶引(ちやいん)など)を買わせ,手形と引き替えに生産地で専売品と専売許可証とを渡し,所定の地域内で販売させていた。この専売方式を鈔法という。その特徴は鈔引の発売と財政に必要な物資,特に糧草(兵食馬料)の調達とを連結し,専売品の販売を望む商人を誘導して,必要な物資を必要な場所に入中(にゆうちゆう)(入納)させ,その代価償還に鈔引を用い,政府機関の手で現物を消費地に運送して人民を役使するのを避けた点にある。宋朝は地方藩鎮の兵権を奪い,京師開封府に兵力を集中して強大な禁軍をおき,また契丹西夏に接する河北河東陝西の要地に大量の禁軍を配置していた。鈔法はもっぱらこの軍隊の糧草の調達に用いられた。

 その運用方式を一般的に述べると,鈔引の発行発売に当たっていたのは京師の榷貨務(かくかむ)(中央専売局),入中地は河北・河東・陝西三路の州軍と京師の榷貨務および折中倉(せつちゆうそう),入中したのは見銭(現銭),金銀絹帛,糧草(粟,麦,豆,藁草)で,このいずれを入中させるかは時々の条例で定められていた。三路の州軍で入中を受けると,その品目・価格等を抄記した手形(交抄,交鈔,交引)を交付し,京師榷貨務で見銭を支払うかもしくは鈔引を換給して,その価格を償還していた。榷貨務で支払いに用いられた見銭は,本務に入中された鈔引の代価および本務が兼営する地方州軍支払いの為替取組み(便換(べんかん))の入納銭であった。折中倉では粟豆を受けて交抄を与え,榷貨務で鈔引に引き換えさせていた。鈔引に換給された専売品には茶,塩,礬,および南海貿易品の犀象,香薬があったが,主体は華中産の茶と陝西解州産の顆塩かえん)および淮南(わいなん)両浙産の末塩(まつえん)であった。大まかに見てまず茶が河北,河東,陝西三路および京師の軍需の調達に活用され,ついで解塩,末塩が用いられ,1059年(嘉祐4)に茶の専売制度が崩壊して廃止されるころには,陝西の軍費は解塩で,河北の軍費は末塩でまかなう体制ができていた。

 鈔法を成立させる条件は,広域経済の発達と手形の普及,および茶塩の転売,米粟の収買を円滑にする地方市場網の形成である。唐の半ばころから茶の販路が華北全域に伸び,首都長安振出し地方州軍支払いの便換が盛んに行われ,同じころからまた鎮市・草市が発達したことは,この条件の成熟を示す事実である。もっとも辺境の城塞に糧草を入中させるには,相当の厚利を与えねばならない。専売の利は多く商人の手中に帰していた。入中に活躍した商人は,辺境の入中に従う北商,西商と,華中の茶引や塩鈔を商販した南商に区分され,三路の要地や京師では交抄・鈔引が取引されて,京師の金融商人(交引鋪戸(こういんほこ))が巨利を得,しだいに寡占体制が形成されて鈔法の円滑な運営の妨げとなっていた。

 鈔法は明代でも開中法(かいちゆうほう)(塩法)の名で行われている。俗に九辺鎮と総称される辺鎮で入納される。支払いに用いられたのは塩,特に淮南,両浙,長蘆の塩で,商人は辺倉に糧草を入納すると手形(倉抄)を受け,産塩地の都転塩運使司で塩引を換給され,塩場で塩貨を受領し,販塩地に赴く仕組みであったが,後には糧草に替えて銀を入納させ,その銀で糧草を買う方法が盛んになっている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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