中国歴代王朝で天子の宮城(禁裏、禁中)を守った近衛(このえ)軍の総称。各王朝の始祖はそれぞれ自己の親衛軍に頼って帝位についたが、即位後は近衛をも国軍の一環として全国的基礎の上に置こうとした。漢、隋(ずい)、唐、明(みん)などの徴兵制をとった漢人王朝では、地方の兵籍にある者を交替で京師(けいし)に上番勤務させて衛士とした(漢の南軍、隋・唐の南衙(なんが)六軍十二衛、明の京営の兵など)が、帝権の維持強化のため、皇帝の身近に貴族や功臣の子弟(漢の郎中令・光禄勲(こうろくくん)が率いる郎衛、北朝の宗子・望子隊、唐の親・勲・翊三衛(よくさんえい)、明の京衛・錦衣衛(きんいえい)以下の親軍衛)、あるいは世襲職業兵的な精強選抜部隊(西晋(せいしん)の三部司馬、唐の元従禁軍・北衙禁軍など)を別置する場合が多く、明代では衛所制の衰退に対処して繰り返し精鋭を選抜して近衛軍の拡大整備を図った(三大営、団営、東西官庁軍)。徴兵制が崩れる王朝末期には、これらを禁軍の中核とし、募兵によって拡大することが多かった(漢の北軍諸営、唐の北衙、明の新三大営など)。後漢(ごかん)末、六朝(りくちょう)や唐末五代の地方軍閥割拠時代には禁軍も世襲職業化し、中央直轄軍として野戦に出動、五代末、北宋(ほくそう)には禁軍(侍衛親軍馬・歩軍。本来の近衛の任は殿前軍があたる)をもって全国を平定し、各地に屯駐させたので、禁軍は即、国軍を意味するようになった。五胡(ごこ)、北朝、遼(りょう)、金、元、清(しん)など異民族征服王朝では、禁軍の根幹は征服支配種族の兵をもって構成し(北朝の羽林(うりん)・虎賁(こふん)、遼の皮室(ひしつ)軍・属珊(しょくさん)軍・宮衛軍、金の猛安(もうあん)・謀克(ぼうこく)制における合扎(ハルチ)、元の五衛・四怯薜(ケシク)、清の禁旅八旗など)側近を固めた。
[菊池英夫]
中国,天子の宮城(禁中,禁裏)を守衛する軍隊。皇帝権力の維持強化のため,各王朝では特権的身分を持たせた世襲的な精鋭部隊を皇帝の周辺に配置した。唐以前では,地方軍は皇帝直轄軍という性格は脆弱(ぜいじやく)で,禁軍だけが皇帝配下の軍隊であった。五代・宋以後では,地方軍閥の私兵などをしだいに禁軍に編入し,禁軍だけが精強な正規軍つまり国軍となり,皇帝の統帥だけを受けて国内の治安維持や外国との戦争に従事した。
執筆者:衣川 強
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中国で天子の宮城を守衛する近衛(このえ)の軍隊。唐初よりその呼称があり,それは天子の居所(禁裏(きんり),禁中)の衛兵であることによる。歴代の王朝は皇帝権力を維持強化するため,精鋭部隊を皇帝の周辺に配置し,特権的身分を持たせた。唐末五代より宋代にかけて,禁軍は中央直轄軍として増強され,精強な国軍となっていった。
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…節度使は麾下の中心たる牙軍(いわば旗本軍)を基盤に領内の鎮将たちを統率して軍民財政を支配する藩鎮に成長した。五代諸国も牙軍を基盤に禁軍を組織し,また軍政統轄者は枢密使や侍衛親軍馬歩都指揮使,殿前都指揮使らであった。 宋は藩鎮を解体し,精鋭はすべて禁軍(国軍)に編入した。…
… 君主独裁体制を支えたもう一本の柱は,強力な軍隊であった。すでに五代において,後唐の明宗,後周の世宗が親衛隊である禁軍の強化をはかった。宋の太祖はその禁軍をそっくり引き継ぐとともに,地方の強壮な兵卒を中央に集めて禁軍に編入し,地方軍たる廂軍をすっかり骨抜きにした。…
…五代の武人趙弘殷の次子として洛陽の軍営で生まれた。後周世宗に重用され,禁軍(親衛隊)の総司令官である殿前都点検になった。959年(顕徳6),世宗が没して,わずか7歳の恭帝が後をついだが,それを不満とする禁軍将兵たちは,翌年正月,趙匡胤を皇帝に擁立した。…
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