デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鈴木万里」の解説
鈴木万里(初代) すずき-ばんり
江戸の人といわれ,初代荻江露友(おぎえ-ろゆう)の門弟とされる。江戸市村座にでたが,のち大坂にいき,天明4年中の芝居に出演,好評を博す。「長唄の親玉」と称され,上方に江戸長唄や豊後節を普及させた。文化13年7月29日死去。前名は鈴木熊次郎。後名は鈴木亀寿斎。
鈴木万里(4代) すずき-ばんり
初代の門人。のち3代湖出(こいで)市十郎に入門,湖出豊吉を名のる。天保(てんぽう)3年(1832)京都で4代鈴木万里を襲名。豊後(ぶんご)節もかね,独吟,鼓唄(つづみうた)などもたくみであった。初名は竹山豊吉。前名は田中豊吉。
鈴木万里(2代) すずき-ばんり
安永4年生まれ。上方(かみがた)で活躍した初代の門人で,その養子。初代のワキをつとめ,文化6年2代を襲名。江戸長唄と豊後(ぶんご)節で知られる。文政2年8月15日死去。45歳。前名は鈴木宗吉(惣吉)。
鈴木万里(3代) すずき-ばんり
初代の門人。初代,2代のワキをつとめ,文政3年(1820)3代を襲名。文政末ごろまで活躍した。前名は鈴木佐吉(左橘)。