日本歴史地名大系 「鍋島村」の解説 鍋島村なべしまむら 高知県:中村市鍋島村[現在地名]中村市鍋島竹島(たけしま)村の東南、四万十(しまんと)川の左岸にある。村は北から上鍋島(かみなべしま)・下鍋島・中(なか)ヶ市(いち)と分れ、中ヶ市の東に平野(ひらの)が続く。平野は土佐湾に面し、海浜を平野浜とよぶ。「土佐州郡志」に「東接海、南限下田村、西北限渡川・後川涯及竹島村、東西二十八町許南北二十五町許、戸凡五十五、其土砂石 平野村 煮潮処」とあり、「西浦廻見日記」(安永七年)は「鍋島村の内平野を通る、誠に山平らかにして野といふべく、畠とせし余り猶ひらくべき所広く見ゆ、平野浜これ下田と鍋島とあらそひし網代也、鍋島争ひ勝て地挽弐帖いたせしが、無漁にて庄屋も他続し網舟も中村より御かし付の質ニ入しかめし上しよし也」と記す。 鍋島村なべしまむら 佐賀県:佐賀市新庄郷鍋島村[現在地名]佐賀市鍋島町(なべしままち)大字鍋島字鍋島西北を嘉瀬(かせ)川の堤防に囲まれ、東は増田(ますだ)村、南は木角(きのつの)村と東新庄(ひがししんじよう)村、西南は西新庄村(森田)に接する南北に長い街村で、集落は嘉瀬川の堤防に近く立地する。文化一四年(一八一七)の郷村帳によれば村内に横馬場・立町田端・北小路・南小路の地名がある。鍋島氏の祖長岡伊勢守経秀が山城国長岡(ながおか)から移り住んで館を構え、この地で鍋島の姓に改めたと伝え、御館の森(おたちのもり)の地名がある。 鍋島村なべしまむら 大分県:中津市鍋島村[現在地名]中津市鍋島犬丸(いねまる)川河口東岸台地上にあり、東は宇佐郡宮熊(みやぐま)村(現宇佐市)、西は犬丸川を挟んで今津(いまづ)村、北は周防灘。当村の集落である久保(くぼ)・本村(もとむら)・池(いけ)ノ上(うえ)があたかも鍋の三ッ脚に似ていることから鍋島というと伝承されている。元禄豊前国高帳に高二三六石余とある。 鍋島村なべしまむら 新潟県:南蒲原郡栄町鍋島村[現在地名]栄町中島(なかじま)刈谷田(かりやだ)川右岸平野部の村で、北から東・南にかけて小古瀬(おごせ)新田、北西は小古瀬村に接する。近世を通じて新発田藩領で、慶長三年(一五九八)頃の御領内高付帳(新発田市史資料)に「なべ島村」とみえ、小古瀬村など一二村で一千五一石二斗余。同一〇年の給知方村々高目録(同資料)では毛付一三石四斗・荒八九石七斗余。同一五年頃の給知方ほど役帳(同資料)によれば四軒が炉役六斗を負担。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by