鍼灸医学(読み)しんきゅういがく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「鍼灸医学」の意味・わかりやすい解説

鍼灸医学
しんきゅういがく

鍼(はり)や灸(きゅう)で経穴(けいけつ)(つぼ)を刺激し、皮膚表面から生体機能の変調を整え、健康増進疾病治療を行う中国の伝統医術の一つ。針灸とも書くが、日本では一般に鍼の字をあてるのは、医療の鍼を縫い針などと区別するためである。中国では、どちらも同じように読み、同じように用いる。

 鍼灸治療の歴史は古く、中国の古典医書である『黄帝内経(こうていだいけい)』のなかに、すでにこれらについての記載がかなり詳しく述べられており、おそらく数千年前から医療として行われていたと考えられる。鍼灸治療は、昔から人間が考え出した治療法のうちで、いちばん長く用いられてきたものの一つであり、現在でもなお、中国および中国文化圏、すなわち韓国、日本、ベトナムなどで実際に使われ、最近では欧米にまで伝えられて賞用されている。ヨーロッパやアメリカにも鍼灸に似た体表刺激療法はあるが、経穴または穴(けつ)とよばれる点状の部位を選んで術を行うという点で異なっている。

 経穴は、1年365日にかたどって、365か所とよく書かれているが、書物によってその数はまちまちであり、さらには奇穴、新穴などという新しく発見され、設定された穴が続々と現れているため、全部を合計すると数千か所ということにもなる。ノイロメーターという電気を用いた探索器等を使って、皮膚電気抵抗の低い(電気の流れやすい)点を探し、そこを経穴として用いる人もある。中谷義雄(よしお)(1923―1978)のいう良導点、石川太刀雄(たちお)(1908―1973)のいう皮電点などがこれである。経穴は、経絡(けいらく)という体の縦方向に走る線上に分布するものとされている。経絡は体の左右に走る12対のほか、正中線の前面を走る「任脈(にんみゃく)」、正中線の後面を走る「督脈(とくみゃく)」の二つをあわせて、一般に14経といわれる。このうち、体の背側を走るものを陽経、腹側や内側を走るものを陰経といい、そのそれぞれが、古代中国の解剖学でいう五臓六腑(ろっぷ)と密接に関係があるとされ、次のように分けられる。

(1)手(上肢から頭部、躯幹(くかん)へ走る経絡) 太陰(たいいん)肺経、厥陰心包(けついんしんぽう)経、少陰(しょういん)心経、太陽小腸経、少陽三焦経、陽明大腸経
(2)足(下肢から躯幹、頭部へ走る経絡) 太陰脾(ひ)経、厥陰肝経、少陰腎(じん)経、太陽膀胱(ぼうこう)経、少陽胆(たん)経、陽明胃経
(3)正中線上 任脈、督脈
 これらの経絡のなかを、酸素や養分、神経作用といったものが循環し、これによって体全体、および各内臓の機能が保たれるというのが古代中国の考え方である。経絡のなかを流れるものを気血あるいは気血栄衛とよび、これが滞ったり過不足を生ずると、外部からの邪気を受け、病が生ずるというわけである。つまり、古代中国では、現代医学でいう血管系、神経系、リンパ系等を一つにしたような循環系が経絡であると想像していたと思われる。次に、鍼灸治療では、こうした経絡の状態をどうやって評価し、治療と結び付けたかを述べる。

[間中喜雄・板谷和子]

診断と治療

鍼灸治療の診断も、漢方特有の診断方法である四診に始まる。四診とは、望診、聞診、問診、切診をいい、患者の外表所見を目や耳や鼻で注意深く観察し、脈に触れてその強弱浮沈、部位差等を考え、体全体の状態、アンバランスおよび病変の部位、病状の程度、病相等を判断することである。古典的な鍼灸の治療法では、まず、こうした診断に沿って本治法という治療がとられる。これは、重点的に治療すべき経絡や臓腑を適切な経穴に沿って治療することである。ついで標治法という治療が行われる。これは個々の愁訴や、ある部位の病変に対する治療を行うものである。

 鍼灸治療を業とするには、「はり師免許」または「きゆう師免許」を受けなければならない。免許は、学校教育法第90条1項の規定により、大学に入学することのできる者で文部科学大臣の認定した学校または厚生労働大臣の認定した養成施設で3年以上、解剖学・生理学・病理学・衛生学その他の必要な知識、および技能を修得した者のうち、厚生労働大臣の行う試験に合格した者に対して、厚生労働大臣が与えることになっている。なお、鍼師、灸師は、「あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律」の規制を受ける。

[間中喜雄・板谷和子]

適応症

かつての鍼灸は、漢方療法と併用して、あるいは単独で、現在よりもかなり広い範囲の病気に応用されてきた。たとえば、いまでは抗生物質のような薬物によって容易に治せる急性・慢性の炎症(結核、面疔(めんちょう)、虫垂炎、淋病(りんびょう)、軟性下疳(げかん)等)にも鍼灸は有効とされてきた。また、鍼灸には止痛効果のほか、消炎作用のあることも知られていた。『黄帝内経』の「素問(そもん)」が編まれたころの古代中国では、現在の外科用メスに相当する鈹針(はしん)という鍼もあり、炎症の切開、瀉血(しゃけつ)に用いられていた。

 現在、鍼灸が実際に用いられるのは、次のような治療目的のためである。

(1)鎮痛作用。炎症の痛みばかりではなく、神経痛、手術時の疼痛(とうつう)、出産時の疼痛等、かなり広範囲の痛みを鎮める。ただし、ある種の中枢性の疼痛、神経系を侵し始めた癌(がん)性の疼痛等の場合は、鍼灸による鎮痛効果はないとされる。しかし、鎮痛効果が無効または一過性であるとはいっても、鍼灸には薬物のような副作用や依存性がないため、鎮静効果等をねらって、場合によっては試みられることもある。

(2)自律神経調節作用。体の機能、およびほとんどの器官は、交感副交感神経による支配を受けており、その自動調整によって生活機能を営むことができる。通常では、その調整は巧妙に行われているわけであるが、さまざまな外からの擾乱(じょうらん)、内からの干渉等(たとえば、非常に大きな刺激、精神的なショック、恐怖、感染、急激な環境変化など)によって、この自然的調整に狂いを生ずることがある。一般には、これらの狂いは一定の日時がたつと自然に回復するはずであるが、ときには外からの適切な手助けを必要とされる場合がある。この手助けの一つが鍼灸である。この「自律神経系のアンバランスを調整する」ということが鍼灸の一つの特徴であり、鍼灸が自律神経系に影響を及ぼすことは、すでに科学的に証明されている。俗に、西洋医学で治しにくい病気が鍼灸で治ったと信じられているのは、このためである。

(3)転調療法。これは(2)とも関連をもつが、鍼灸のような弱い刺激でも、計画的に体表の要所要所に持続して行うと、一種の体質変換がおこってくる。体が弱く、感冒などの感染を受けやすいのが治る、あるいは、体質疾患と考えられている喘息(ぜんそく)、アトピー性皮膚炎等が治る、長く無月経でいろいろな治療を受けてもだめだったものが正常になる、などという望ましい変化がこの例である。昔から西洋ではこれを転調療法とよんでいる。かつては洋の東西を問わず、こういう治療法が数多くあったが、西洋では、なぜ効くのかわからないこうした治療は、旧式だとして排除され、忘れられていった。

(4)心理的作用。一般には暗示作用ともいえるものである。鍼灸を行うことによって病気を克服しようという意欲を助長するなどがこれにあたる。また、慢性病で気力を失っている者が、自ら灸をすえる気持ちになるというような疾病に対する心理的態度の変換も含まれる。こうした心理面での作用という意味で、鍼灸、ことに灸はたいへんによい「修業」であるといえる。

[間中喜雄・板谷和子]

『間中喜雄著『針灸入門講座』(1954・医道の日本社)』『浜添圀弘他著『針灸医学』(1977・南山堂)』『上海中医学院編、井垣清明他訳『日本版・針灸学』(1977・刊々堂出版社)』

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