中国のもっとも古い医学書。18巻。《黄帝外経》とともに前漢末期(前1世紀末)に存在したと記録されているが,どちらも早い時期に失われてしまい,その正確な内容も内経と外経にどのような区別があったかも不明である。しかし,その後《黄帝内経素問》(通常《素問》と呼ばれる)と《黄帝内経太素》(《太素》),《黄帝内経霊枢》(《霊枢》)という書が出現し,《素問》と《霊枢》は医学理論の基本的な書として,唐以後,常に研究の中心になった。これらの書が黄帝内経の名を冠しているのは,漢代の《黄帝内経》の内容を伝えているという意味であろうし,現在でも一般にそのように考えられ,《素問》が《黄帝内経》18巻中の9巻で,残りの9巻分が《霊枢》に相当するという説もある。その真偽は別として,《素問》と《霊枢》には重複する部分は少ないが,《太素》はこの二書を合わせたような形になっていて,この三書が同系統の書であることは確かである。この三書は四季や気象などとの関係を含めて人体の生理,病理現象を取り上げ,経絡や気,血などの重要な医学思想について論じているが,治療法については鍼灸の基本的な考えについて述べている程度で,ほとんど触れていない。これらの書の成立年代ははっきりしないが,近年の研究によって,そのなかの経脈説は前漢初期に存在した説を発展させたもので,それについての陰陽説や五行説による解釈など,違った立場からの検討結果も含んでいることが明らかになった。したがってこれらの書は一人の人物が著したものではなく,長いあいだに蓄積された研究結果を集大成したもので,多くの部分は前漢中期以後の思想であろう。漢代の《黄帝内経》との関係は不明であるが,《素問》と《霊枢》を合わせたものを《黄帝内経》という人もあり,欧米でHuang ti nei chingという時はほとんどこの意味であるから,どちらの意味で用いられているか,区別して扱うことが必要である。
執筆者:赤堀 昭
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中国の古典医学書。著者、著作年代ともに不明。前漢(前206~後8)末ごろ存在していた。『漢書(かんじょ)』「芸文志(げいもんし)」に『黄帝内経』18巻とあるが、内容は明らかではない。『素問(そもん)』9巻、『霊枢(れいすう)』9巻からなっていたといわれ、今日、『黄帝内経』には『黄帝内経素問』『黄帝内経太素(たいそ)』『黄帝内経霊枢』の3種の書がある。『黄帝内経素問』は5世紀末ごろの全元起(ぜんげんき)が注釈を加え、『全元起注黄帝素問』8巻とした。唐代の王冰(おうひょう)は訛(か)字を正し、脱字を補い、注を入れ篇(へん)の順序も変えるなどして24巻81篇の『素問』にした。この書物を基にして北宋(ほくそう)の仁宗(じんそう)帝(在位1022~1063)の勅命により、林億(りんおく)・高保衡(こうほこう)らが『重広補注黄帝内経素問(じゅうこうほちゅうこうていだいけいそもん)』24巻の現行本とした。医学全般の基礎理論が書かれている。『黄帝内経太素』30巻は隋(ずい)代(581~618)の楊上善が著した。これは『黄帝内経素問』のように変更(王冰の改変、林億らの校改)を受けていないので珍重されている。中国では南宋のころから亡失していたが、日本の京都仁和寺(にんなじ)に古写本が存している(国宝)。『黄帝内経霊枢』12巻には鍼灸(しんきゅう)治療に関する理論が書かれ、重要な書とされている。
[山本徳子]
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…運気論という名称は,人体は木,火,土,金,水の五行の運行(五運)と風,熱,湿,火,燥,寒の六気の影響を受け,その過不足によってそれぞれに対応する臓腑,経絡に変調が起こって病気になるという主張による。《素問》(《黄帝内経》)にもとづく説で,特にそのなかのいわゆる運気七編が直接のよりどころになっている。したがって,この説は唐代には存在したことになるが,流行するようになったのは宋代にはいってからで,南宋では太医局の試験課目にも指定されている。…
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