鎌倉大仏(読み)かまくらだいぶつ

改訂新版 世界大百科事典 「鎌倉大仏」の意味・わかりやすい解説

鎌倉大仏 (かまくらだいぶつ)

神奈川県鎌倉市の高徳院浄土宗)にある大仏。はじめは僧浄光の勧進により幕府の財政的援助民衆喜捨を得て1243年(寛元1)に完成した木像阿弥陀如来であったと伝えられる。現在の国宝金銅阿弥陀如来座像は52年(建長4)に〈金銅八丈の釈迦像〉の鋳造が始められたと《吾妻鏡》に記されているのにあたるといわれる。1495年(明応4)の津波大仏殿が倒壊してからは露仏となった。1712年(正徳2)に祐天が当寺を再興し浄土宗となった。
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百科事典マイペディア 「鎌倉大仏」の意味・わかりやすい解説

鎌倉大仏【かまくらだいぶつ】

鎌倉市長谷(はせ)の高徳院にある阿弥陀如来座像。〈長谷の大仏〉とも呼ばれ,奈良大仏と並び称される。銅造で高さ11.5m。1238年―1247年ごろに僧浄光の発願により木造の大仏が造られ,1252年に現存の大仏の鋳造が始められたらしい。運慶様式を基本に宋代美術様式を加味した,当時の鎌倉地方様式を示す代表作
→関連項目鎌倉[市]大仏

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旺文社日本史事典 三訂版 「鎌倉大仏」の解説

鎌倉大仏
かまくらだいぶつ

鎌倉市長谷の高徳院にある鎌倉時代の阿弥陀如来坐像
国宝。高さ約11m 余,奈良大仏につぐ大きさ。金銅像で1252年に鋳造を始めた。仏殿は14・15世紀と2度の災厄で失われ,露座のまま今日に至る。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「鎌倉大仏」の解説

鎌倉大仏
かまくらだいぶつ

高徳院阿弥陀如来像(こうとくいんあみだにょらいぞう)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鎌倉大仏」の意味・わかりやすい解説

鎌倉大仏
かまくらだいぶつ

高徳院

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世界大百科事典(旧版)内の鎌倉大仏の言及

【鎌倉時代美術】より

…その本尊の千手観音像と二十八部衆像の一群はまさに一時期を画するものである。このころ鎌倉の地では高徳院阿弥陀如来像(鎌倉大仏)がその巨体を銅鋳されていた。それは時の幕府を中心に庶民の力を集めたものであったろうし,様式的には運慶様を基に新しく直輸入された大陸様式を加えたもので,これもこの期の記念碑的造像である。…

【大仏】より

…1691年(元禄4)に頭部が公慶上人によって鋳造されて,今日に至っている。ほかに,鎌倉高徳院の阿弥陀如来座像(鎌倉大仏)が名高く,《吾妻鏡》は1252年(建長4)の鋳造と伝え,像高は1150cmある。また,大和の飛鳥(あすか)寺の飛鳥大仏は,丈六の銅造釈迦如来座像で,破損ははなはだしく,後年に補修された部分が多いが,なお面相には遠く飛鳥仏の特色がみられ,606年(推古14)仏師鞍作止利(くらつくりのとり)が造って元興(がんごう)寺に安置したという仏像ではないかと考えられている。…

【銅合金】より

…東大寺大仏の創造時と思われる個所の分析結果は,銅93.5%,スズ1.45%,鉛0.57%,ヒ素2.91%となり,上代ではスズ,鉛が少ない。中世の鎌倉大仏は銅68.0%,スズ8.64%,鉛22.0%でスズと鉛が多く含まれている。(2)白銅 銅70~80%にスズ20~30%を混ぜた合金で,青銅より硬くなり,白色をしているところから白銅といわれる。…

※「鎌倉大仏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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