日本歴史地名大系 「長寿院」の解説 長寿院ちようじゆいん 長崎県:下県郡厳原町府中城下日吉町長寿院[現在地名]厳原町日吉日吉の元以酊庵(ひよしのもといていあん)通の中ほどにある。坎亀山と号し、臨済宗南禅寺派。本尊は観音菩薩。天正一六年(一五八八)の創立で、宗義調の菩提所というが、義調の墓は中村の太平(なかむらのたいへい)寺にある。天文年間(一五三二―五五)宗晴康の創建で、もと国分の奥里(こくぶのおくざと)にあったが、宗材盛の菩提所として日吉にあった達磨(だるま)院を合併して、当地に移ってきたという(津島紀事)。寛永一〇年(一六三三)の妙心寺末寺並末々帳に院号がみえる。 長寿院ちようじゆいん 青森県:黒石市浅瀬石村長寿院[現在地名]黒石市浅瀬石 清川浅瀬石(あせいし)の中央部にあり、羽黒(はぐろ)神社と境を接する。法隆山と号し、浄土宗。本尊阿弥陀如来。慶長二年(一五九七)の浅瀬石城落城まで城内にあった千徳氏の菩提寺五倫山神宗寺を再興したといわれる。寺伝によれば、浅瀬石城落城の際千徳氏の遺臣伊賀軍治直治は、神宗寺の本尊阿弥陀仏と城主の累代の霊牌を隠れ沢に奉安し、出家して弘前誓願(せいがん)寺で修行し、良遍照運の名を授けられ、慶長年間浅瀬石に照運庵を建て、元和元年(一六一五)没したという。 長寿院ちようじゆいん 山形県:米沢市米沢城下川井小路町長寿院[現在地名]米沢市大町五丁目米宝山と号し、真言宗。本尊不動明王。寺伝によれば、天正元年(一五七三)織田氏に滅ぼされた朝倉氏の老職であった師岡左馬頭が同五年米沢に移住し出家して永応と号し、文禄二年(一五九三)当院を建立したという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
事典・日本の観光資源 「長寿院」の解説 長寿院 (滋賀県彦根市)「湖国百選 社/寺編」指定の観光名所。 出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報 Sponserd by