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長沼妙佼 ながぬま みょうこう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

長沼妙佼 ながぬま-みょうこう

1889-1957 昭和時代の宗教家。
明治22年12月25日生まれ。離婚,子供の死,自分の病気などにくるしみ,昭和11年庭野日敬(にっきょう)の勧めで霊友会にはいる。13年庭野と霊友会を脱会して大日本立正交成会(現立正佼成会)をつくり,18年副会長となった。昭和32年9月10日死去。67歳。埼玉県出身。本名はマサ。

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大辞林 第三版の解説

ながぬまみょうこう【長沼妙佼】

1889~1957) 宗教家。埼玉県生まれ。本名マサ。1938年(昭和13)庭野日敬とともに霊友会から分かれ、立正佼成会を設立。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

長沼妙佼
ながぬまみょうこう
(1889―1957)

宗教家、立正佼成会(りっしょうこうせいかい)初代副会長。埼玉県北埼玉郡志多見(しだみ)(現加須(かぞ)市)の農業・大工職長沼浅次郎の六女。16歳のとき姉の養女となり、姉の影響で天理教に入信。25歳で結婚、夫の不身持ちから11年目に離婚、上京して41歳のとき再婚、氷、甘藷卸(かんしょおろし)小売商を開店。商売は繁盛したが病弱で苦しみ、庭野日敬(にっきょう)に先祖供養(くよう)を勧められて霊友会に入会。信仰のおかげで病を快癒、庭野とコンビを組み、献身的布教活動に邁進(まいしん)した。1938年(昭和13)霊友会を脱会し、庭野と『法華経(ほけきょう)』実践教団「大日本立正交成会」(現、立正佼成会)を創立。本名のマサを妙佼と改め、後半生を布教の第一線で信者の救われに捧(ささ)げ、慈悲の人と慕われた。[大島宏之]
『天野恭佑著『慈悲の生涯――長沼妙佼伝』(1958・冬樹社)』

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世界大百科事典内の長沼妙佼の言及

【庭野日敬】より

…34年次女の病気から霊友会に入会,新井助信に法華教を学び,みずからの信仰を法華信仰に統一した。38年霊友会を脱会,長沼妙佼と大日本立正交成会を設立,43年会長に就任し,立正佼成会の指導者として大教団となる基盤を築いた。65年第2バチカン公会議に出席,宗教協力と世界平和の実現をめざして世界宗教者平和会議の開催に尽力,70年に開催された第1回の会議の共同議長をつとめた。…

【立正佼成会】より

…庭野はそれまで大日本霊友会の会員であったから,その先祖の成仏と人格の完成を願う信仰を受けつぎながら,《法華経》への帰依を鮮明にすることを主張して出発した。創立時の名は大日本立正交成会で,庭野は若かったために会長に村山日襄を推したが,実際の活動は庭野と長沼妙佼(1889‐1957)が支えた。43年庭野が会長,長沼が副会長となり,45年会の名を立正交成会と改称(1960年以降立正佼成会)。…

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