日本大百科全書(ニッポニカ) 「長沼妙佼」の意味・わかりやすい解説
長沼妙佼
ながぬまみょうこう
(1889―1957)
宗教家、立正佼成会(りっしょうこうせいかい)初代副会長。埼玉県北埼玉郡志多見(しだみ)(現、加須(かぞ)市)の農業・大工職長沼浅次郎の六女。16歳のとき姉の養女となり、姉の影響で天理教に入信。25歳で結婚、夫の不身持ちから11年目に離婚、上京して41歳のとき再婚、氷、甘藷卸(かんしょおろし)小売商を開店。商売は繁盛したが病弱で苦しみ、庭野日敬(にわのにっきょう)に先祖供養(くよう)を勧められて霊友会に入会。信仰のおかげで病を快癒、庭野とコンビを組み、献身的布教活動に邁進(まいしん)した。1938年(昭和13)霊友会を脱会し、庭野と『法華経(ほけきょう)』実践教団「大日本立正交成会」(現、立正佼成会)を創立。本名のマサを妙佼と改め、後半生を布教の第一線で信者の救われに捧(ささ)げ、慈悲の人と慕われた。
[大島宏之 2018年6月19日]
『天野恭佑著『慈悲の生涯――長沼妙佼伝』(1958・冬樹社)』