庭野日敬
にわのにっきょう
(1906―1999)
宗教家、立正佼成会(りっしょうこうせいかい)初代会長。旧名鹿蔵(しかぞう)、画号越仙。新潟県中魚沼郡十日町大字菅沼(すがぬま)(現、十日町市)の農業庭野重吉(じゅうきち)の次男。幼少年期に祖父と小学校長より「人様のためになる人間になれ」「神仏を敬(うやま)え」と教えられ無条件で守る。23歳ころから宗教的なものに興味を抱き、六曜(ろくよう)・七神、姓名学、不動信仰を経て、次女の病が機縁で霊友会支部長新井助信(あらいすけのぶ)を訪ね即日入会した。同氏に師事し『法華経(ほけきょう)』を学ぶ。1938年(昭和13)長沼妙佼(ながぬまみょうこう)と「大日本立正交成会」(現、立正佼成会)を創立。会長としてつねに布教の先頭にたち、1965年(昭和40)第二バチカン公会議で教皇パウルス6世と会見、以後『法華経』弘法(ぐほう)の使命に基づく世界平和実現のため「世界宗教者平和会議」の主導者として活躍した。国連軍縮特別総会では、非政府組織(NGO)の代表として核兵器廃絶を訴えた。1979年「宗教界のノーベル賞」といわれるテンプルトン賞受賞。1991年(平成3)、会長位を長男の日鑛(にちこう)(1938― )に譲り、「開祖」となった。
[大島宏之 2018年6月19日]
『立正佼成会編『庭野日敬法話選集』全8巻(1978~1983・佼成出版社)』▽『庭野日敬著『私の履歴書』(1982・日本経済新聞社)』
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庭野 日敬
ニワノ ニッキョウ
昭和・平成期の宗教家 立正佼成会開祖。
- 生年
- 明治39(1906)年11月15日
- 没年
- 平成11(1999)年10月4日
- 出生地
- 新潟県中魚沼郡十日町
- 本名
- 庭野 鹿蔵
- 学歴〔年〕
- 尋常小〔大正10年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- シカゴ大学名誉法学博士,ユニクエスト・シュバイツァー賞〔昭和51年〕,テンプルトン賞〔昭和54年〕,アーティザン・オブ・ピース賞〔昭和58年〕,国連事務総長褒賞〔昭和58年〕
- 経歴
- 小学校卒業後上京。昭和6年天狗不動信仰に入り、霊友会に入会。13年長沼妙佼らと大日本立正交成会を設立、18年会長に就任。のち立正佼成会と改めた。53年、57年と国連軍縮特別総会で演説するなど、平和活動で知られた。平成3年アジア宗教者平和会議議長、世界宗教者平和会議日本委員会理事長も務めた。著書に「法華経の新しい解釈」「人間らしく生きる」「無限への旅」「新釈法華三部経」「平和への道」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
庭野日敬 (にわのにっきょう)
生没年:1906-99(明治39-平成11)
立正佼成会会長。本名は鹿蔵。新潟県中魚沼郡十日町の農家の次男として生まれた。1923年上京し,31年漬物店を開業。長女の病気から天狗不動信仰の女行者綱木梅野に入信,小林晟高に姓名学を学んだ。34年次女の病気から霊友会に入会,新井助信に法華教を学び,みずからの信仰を法華信仰に統一した。38年霊友会を脱会,長沼妙佼と大日本立正交成会を設立,43年会長に就任し,立正佼成会の指導者として大教団となる基盤を築いた。65年第2バチカン公会議に出席,宗教協力と世界平和の実現をめざして世界宗教者平和会議の開催に尽力,70年に開催された第1回の会議の共同議長をつとめた。72年世界宗教者会議日本委員会の発足とともに委員長に就任。78年庭野平和賞を創設して平和運動と学術奨励を支援する。
執筆者:大濱 徹也
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庭野日敬
にわのにっきょう
[生]1906.11.15. 新潟
[没]1999.10.4. 東京
宗教家,立正佼成会開祖。本名は庭野鹿蔵。十日町市の農家の次男として生れ,小学校卒業後,1924年に上京し,働きながら易学などを学ぶ。次女の病気を機に霊友会に入信する。 38年会長・小谷喜美への反発から脱会して,長沼妙佼とともに大日本立正交成会を設立,43年会長に就任する。第2次世界大戦後は立正交成会と改称し,さらに 60年に立正佼成会と改める。 65年新日本宗教団体連合会理事長に就任,活動の幅を社会救済へと広げた。世界宗教者平和会議 WCRPを組織し,世界宗教者会議日本委員会委員長をつとめるなど,諸宗教間の対話交流の促進に尽力した。 79年宗教界のノーベル賞といわれる「宗教における進歩のためのテンプルトン賞」を日本人で初めて受賞した。
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庭野日敬【にわのにっきょう】
宗教家で立正佼成(りっしょうこうせい)会の開祖。旧名鹿蔵(しかぞう)。新潟県生れ。小学校卒業後に16歳で上京。1938年に長沼政(のちの長沼妙佼脇祖(わきそ))とともに大日本立正交成会(1960年に立正佼成会と改称)を設立し,のち開祖となる。世界平和を目指した宗教協力を推進し,1978年の第1回国連軍縮特別総会では世界宗教者平和会議(WCRP)を代表して演説を行った。また,政界にも強い影響力をもっていた。→新宗教
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庭野日敬 にわの-にっきょう
1906-1999 昭和-平成時代の宗教家。
明治39年11月15日生まれ。昭和9年次女の病気を契機に霊友会に入信。13年長沼妙佼(みょうこう)とともに霊友会を脱退し大日本立正交成会を創立,18年会長となる。35年立正佼成会と改称,平成3年会長をしりぞき,開祖となった。昭和47年世界宗教者会議日本委員会委員長。平成11年10月4日死去。92歳。新潟県出身。本名は鹿蔵。著作に「新釈法華三部経」など。
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庭野 日敬 (にわの にっきょう)
生年月日:1906年11月15日
昭和時代;平成時代の宗教家。立正佼成会会長;世界宗教者平和会議日本委員会理事長
1999年没
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世界大百科事典(旧版)内の庭野日敬の言及
【立正佼成会】より
…東京都杉並区に本部を置く仏教日蓮系の教団。1938年[庭野日敬](につきよう)を中心に創立。庭野はそれまで大日本霊友会の会員であったから,その先祖の成仏と人格の完成を願う信仰を受けつぎながら,《法華経》への帰依を鮮明にすることを主張して出発した。…
※「庭野日敬」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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