長生村(読み)ちようせいむら

日本歴史地名大系 「長生村」の解説

長生村
ちようせいむら

面積:二八・三二平方キロ

茂原もばら市の東に位置し、東部は太平洋に臨む。北は白子しらこ町、南は一宮いちのみや町・睦沢むつざわ町と接する。町域すべて九十九里浜平野で、南端一宮川が流れ、一宮町境で海に注ぐ。町の南西部にJR外房線とほぼ並行して国道一二八号が通り、海岸線沿いに九十九里有料道路(波乗り道路)が通る。江戸時代は一四村であるが、うち一ッ松ひとつまつ村と一括される諸村は天保郷帳では二二村が高付されている。浜方では漁業が行われるとともに塩場が営まれ、浜稼となった。明治九年(一八七六)当時町域の諸村は第七大区第八―一〇小区に属した。同二二年の町村制施行に伴い高根本郷たかねほんごう村・八積やつみ村・一松ひとつまつ村が成立


長生村
ながおいむら

[現在地名]西土佐村長生

半家はげ村の南、四万十しまんと川左岸、四万十川と吉野川の合流点の上流域にあり、下山しもやま上分かみぶん一村。「永生」とも書く(元禄地払帳)。「土佐州郡志」は「去高知二十九里余、(中略)其地多砂礫、村西有川流出下田浦、此間十一里余有舟便運漕」と記す。

天正一七年(一五八九)下山郷地検帳に永生名がみえ、永生名は地域名称としても用いられている。別に永生村・永生名村がみえ、前者には須崎すさき名、後者には江川えかわ名の一部がある。江戸時代の長生村は右の三地域に対応するとみられるが確定しがたい。元禄地払帳によると総地高七四石余、本田高六五石余は蔵入地、新田高九石余のうち八石余は中脇弥兵衛の領知、残りは貢物地。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「長生村」の意味・わかりやすい解説

長生〔村〕
ちょうせい

千葉県中東部,九十九里平野南端にある村。 1953年一松 (ひとまつ) ,八積 (やつみ) ,高根 (たかね) の3村が合体して成立。村域はおおむね平坦で,数列砂丘が並び,米作植木トマトなどの園芸農業が主産業。面積 28.25km2人口 1万3803(2020)。

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