日本大百科全書(ニッポニカ) 「長谷川テル」の意味・わかりやすい解説
長谷川テル
はせがわてる
(1912―1947)
エスペランティスト。山梨県生まれ。東京府立第三高女を経て1929年(昭和4)奈良女子高等師範学校(現、奈良女子大学)に進学。在学中エスペラントを学び始め、1932年には左翼文化運動に関与したかどで検挙され女高師を中退。帰京後エスペランティストたちと交流し、その一人中国人の劉仁(りゅうじん)(1912?―1947)と結婚した。1937年4月劉仁を追って上海(シャンハイ)に渡り、日中戦争開始後さらに香港(ホンコン)、広東(カントン)、漢口を転々し、1938年末から1945年まで重慶に滞在、この間、抗日宣伝活動に従事、日本向けの反戦放送を担当し、日本の新聞紙上では「売国奴」として非難された。また、反戦・国際平和の立場から数々のエスペラントの作品を残した。1947年佳木斯(チャムス)で死去。
[北河賢三 2018年10月19日]
『宮本正男編『長谷川テル作品集』(1979・亜紀書房)』▽『利根光一著『テルの生涯』(1969・要文社)』▽『高杉一郎著『中国の緑の星 長谷川テル反戦の生涯』(1980・朝日新聞社)』