旺文社世界史事典 三訂版の解説
閔妃の外戚として勢力をふるい,大院君と対立して開国路線を推進。壬午軍乱によって一時大院君派が巻き返すが,清朝の後ろ盾を得て政権に復活。そのため,この時期の閔氏政権を「事大党」という。日清戦争によって日本の圧力が増大してからはロシアに接近したが,1895年の閔妃虐殺事件によって勢力を失った。
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…1882年(壬午の年)7月に朝鮮の首都,漢城(ソウル)で起きた軍人暴動。1873年に大院君(興宣大院君)から閔(びん)氏に政権が移ると,軍隊の待遇は悪化し,新たに新式軍隊の別技軍が設けられて優遇された。その結果,旧式の軍人たちの不満が給米の不正支給によって爆発し暴動となった。…
※「閔氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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