閔氏(読み)びんし

山川 世界史小辞典 改訂新版 「閔氏」の解説

閔氏(びんし)

1873年,閔妃(びんひ)(高宗の妃)は大院君(だいいんくん)を失脚させ,その側近を追放することに成功した。それに協力して,政権中枢を独占した政派が閔氏一族である。閔氏一族は門戸開放と新文化の受容に関心を高めたが,82年の壬午(じんご)軍乱以後日本を背景に改革を推進しようとする独立党(開化派)に反対し,清国に依存する事大党と手を結んだ。しかし,94年,日本が大院君を担いで王宮を占拠し,開化派の政権が誕生(甲午(こうご)改革)すると,閔妃ロシアに頼って日本を追い出そうとした。このような親露政策が日本を刺激し,三浦梧楼(ごろう)駐韓日本公使その他の刺客による閔妃暗殺事件(1895年)が発生した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「閔氏」の解説

閔氏
びんし

李氏朝鮮の国王高宗の妃となった閔妃の一族
閔妃の外戚として勢力ふるい,大院君と対立して開国路線を推進。壬午軍乱によって一時大院君派が巻き返すが,清朝後ろ盾を得て政権に復活。そのため,この時期の閔氏政権を「事大党」という。日清戦争によって日本の圧力が増大してからはロシアに接近したが,1895年の閔妃虐殺事件によって勢力を失った。

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世界大百科事典(旧版)内の閔氏の言及

【壬午軍乱】より

…1882年(壬午の年)7月に朝鮮の首都,漢城(ソウル)で起きた軍人暴動。1873年に大院君(興宣大院君)から閔(びん)氏に政権が移ると,軍隊の待遇は悪化し,新たに新式軍隊の別技軍が設けられて優遇された。その結果,旧式の軍人たちの不満が給米の不正支給によって爆発し暴動となった。…

※「閔氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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