デジタル大辞泉
「事大党」の意味・読み・例文・類語
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事大党
じだいとう
Sadaedang
朝鮮,朝鮮王朝 (李朝) 末期の政党,別名を清国党という。その由来は第 16代仁祖 (在位 1623~49) 代以後,清国に事大の礼を取ったことによる。王妃閔 (びん) 氏や閔氏一派を中心とした守旧派で,要路の大官の大部分がこの党に入った。儒教的イデオロギーをもった大地主,官僚,地方儒生を基盤とし,清国の支持のもとに日本と対抗し,その政権維持をはかった。その後,壬午の変 (→京城事変 ) で清の進出,日本の後退をみたが,その過程で独立党 (開化・親日派) ができた。以後,甲申の変 (1884) ,甲午の改革 (94) などの諸事変のなかで事大党と独立党の政権交代が相次いだが,「閔妃殺害事件 (→乙未事変 ) 」 (95) を契機に,事大党の党威は没落した。
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事大党 (じだいとう)
朝鮮の李朝末期,対清協調(事大主義)によって李朝国家の存続を企図した一群の政治家をさす。金玉均らの開化派(独立党)と対立し,閔(びん)妃を中心とする閔氏一族らの国王外戚によって対清協調政策が推し進められた。
→閔妃
執筆者:鶴園 裕
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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事大党(じだいとう)
朝鮮王朝の末期,清国に従属し,その援助によって政権の維持を図った閔氏(びんし)を中心とする守旧的党派。1882年壬午(じんご)政変に際し,清国の援助によって政権を握った事大党は,その後も清国と結んで日本を後楯とする革新的な独立党を押え,94年,日本によって清国勢力が朝鮮から一掃されるまで政権を維持した。
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事大党
じだいとう
李朝末期の朝鮮宮廷内の保守派。1882年の壬午(じんご)事変後,日本支持下の金玉均(きんぎょくきん)・朴泳孝(ぼくえいこう)らの独立党に対抗して,清国の勢力に従属する閔(びん)氏一派の閔台鎬(だいこう)・閔泳翊らを中心に結成し,政権を獲得した。84年の甲申(こうしん)事変をへて,清国の朝鮮支配の強化によって政権を維持した。日清戦争にともない独立党が台頭して勢力は衰え,95年10月の閔妃殺害事件を契機に崩壊していった。
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事大党
じだいとう
李氏朝鮮末期の保守的な党派
1882年壬午 (じんご) 軍乱で大院君 (たいいんくん) を退けたのち,閔妃 (びんひ) 一族を中心に結成。日本と結んで自主独立を主張する独立党に対し,伝統を守って大国の清に臣属しようとした。甲申 (こうしん) 政変でいっそう清に接近し,日清戦争に至るまで10年間政界を支配。のちロシアと結んだ。
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事大党
じだいとう
李氏朝鮮末期の保守的党派
明治初期,日本と結んで政治を革新しようとする独立党に対し,保守的政治家は清国を背景にして王妃の閔妃 (びんひ) を中心に権勢の温存をはかった。この勢力が事大党で,1884年甲申事変ののち優勢であったが,日清戦争に清が敗北し,閔妃が暗殺されるとともに衰え,親露派に変わる者も多かった。
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世界大百科事典(旧版)内の事大党の言及
【甲申政変】より
…朝鮮で1884年(甲申の年)12月4~6日,守旧派政権に対するクーデタによって[開化派]が奪権を企図した政変。守旧派は清国との伝統的な事大=宗属関係によって旧体制を固執したことから事大党といい,開化派は清国との事大=宗属関係からの独立によって国政の革新をはかったことから独立党ともいう。封建制度を残したまま資本主義列強に開国した(1876)朝鮮にとって,国内体制の近代的改革は焦眉の問題となった。…
※「事大党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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