本州と九州を隔てる関門海峡の海底を貫く、鉄道と国道のトンネル。
[藤井 浩]
山陽本線下関(しものせき)―門司(もじ)間の海底鉄道トンネルで、上り線延長3605メートル、下り線延長3614メートルの単線トンネル2本(内径7メートル)からなっている。このうち海底部分は1140メートル。下り線は1936年(昭和11)着工、1942年開通。上り線は1940年着工、1944年開通している。下関彦島(ひこしま)と当時の門司市小森江間の海底を貫通する日本最初の海底トンネルのため、欧米の水底トンネル技術を参考とし、丹那(たんな)トンネル工事で得られた技術経験が工事に活用された。地質軟弱箇所のトンネル工事には、シールド工法、潜函(せんかん)工法、圧気工法が採用されている。
関門トンネルが開通した後、関門国道トンネル、東海道・山陽新幹線の新関門トンネルが建設された。
[藤井 浩]
東海道・山陽新幹線新下関―小倉(こくら)間の長さ1万8713メートルの複線鉄道トンネル。1971年(昭和46)着工、1975年開通。関門海峡の最狭部の早鞆(はやとも)ノ瀬戸の海底下を通過しており、工期を短縮するため中間部に工事用斜坑を設け、7工区に分割施工している。トンネルの地質は花崗(かこう)岩、粘板岩、砂岩などで、山陽本線関門トンネル、関門国道トンネルなどの施工経験が加味され、底設導坑先進上部半断面掘削工法が採用されている。トンネル勾配(こうばい)は18‰(パーミル)と7‰のすり鉢型となっている。
[藤井 浩]
下関市椋野(むくの)付近から北九州市古城(こじょう)山付近に至る延長3461.4メートルの道路トンネル。トンネル断面は幅員7.5メートル2車線。内部は上段、中段、下段の3段に分かれ、上段は排気ダクト、中段は自動車道、下段は送気ダクトと一般歩行者道がある。1939年(昭和14)着工し、第二次世界大戦時および戦後の中断期間を経て、1958年開通している。このトンネルは自動車トンネルとしては延長が長いため、とくに自動車排気ガスの換気施設に留意されている。トンネルの位置は早鞆ノ瀬戸を通過しており、東海道・山陽新幹線の新関門トンネルとほぼ同位置。
[藤井 浩]
関門海峡の海底下を通って山口県下関市と北九州市門司区を結ぶ海底トンネル。最初に造られた山陽本線用の鉄道トンネルの名称であるが,このほか関門海峡には道路用の関門国道トンネル,山陽新幹線用の新関門トンネルも建設されている。
現在の山陽本線は,当初から山陽鉄道会社によって建設され,1901年神戸~馬関(現,下関)間の全線開通と同時に関門鉄道連絡船による航路輸送が開始され,06年の鉄道国有化後も,長らく旅客は乗換えを,貨物は貨車航送を余儀なくされていた。30年代後半には日本の社会,経済,産業の発展から,本州~九州間の鉄道による輸送量が急増し,輸送力の増強,到達時分の短縮とともに,安定した陸路による一貫輸送の達成が強く要請され,軍事的配慮も加わって,関門海峡下に海底トンネルを建設する構想が推進された。36年9月,まず将来下り線となる単線1線分の工事に着手,42年11月,7年の工期を要して開通した。また遅れて40年に着工した上り線分は44年8月開通し,山陽本線と鹿児島本線は門司駅(貨物は門司操車場駅)において複線で直結され,輸送の著しい改善が達成された。この工事における犠牲者は20名にのぼる。
トンネルは,下関市彦島より門司区大里に至るS字形のルートで,延長は下り線3614m,上り線3604m,海底部は上下線とも1140mである。下り線は両側からこう配1000分の20,上り線は1000分の20と22(一部25)で下り込んで,海峡最深部で出会う形となっている。ふつうの山岳トンネルにおける工法のほか,地形と地質に応じて部分的にオープンカット工法,ニューマチックケーソン工法,シールド工法,圧気工法などが用いられた。シールド工法の採用は日本では3番目であるが,大断面でしかも成功を収めたものとしてはこれが最初である。このほか,貝殻層などの軟弱湧水地層を固結するためのセメントモルタルや凝固剤の注入工法,海底の被覆土の薄い個所での押え盛土工法などの特殊施工法や各種の新しい設計が用いられ,当時のトンネルならびに鉄道技術の粋を集めて,今日でも驚異に値する短い工期で完成された。
関門国道トンネルは,関門鉄道トンネルにわずか遅れた1937年着手されたが,戦時中に中断,52年に再開され58年に開通した。延長3461m(うち海底部750m),対向2車線の自動車専用部と,その下段に人道部を有する2階建てである。ルートは鉄道トンネルの北東方約5kmにある海峡の最も狭い早鞆(はやとも)ノ瀬戸の海底を通過している。
山陽新幹線用の新関門トンネルは,70年に着手,74年に完成した延長1万8713m(うち海底部880m)の長大トンネルであって,これも国道トンネルと同じ早鞆ノ瀬戸の下を横断している。
執筆者:吉村 恒
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山口県下関市と北九州市の門司地区を結ぶ海底トンネル。1901年(明治34)山陽鉄道神戸―馬関(現,下関)間の開通と同時に,関門間に航路輸送が開始されたが,産業経済の発達と軍事的要請の高まりを背景に,関門海峡下のトンネル建設が構想された。36年(昭和11)9月に下り線(3614m)から着工,42年11月に完成。上り線(3604m)は40年に着工,44年8月に完成。山陽本線と鹿児島本線は門司駅(貨物は門司操車場駅)でつながれた。この日本初の海底トンネル造成にはシールド工法・圧気工法などが用いられた。58年には関門国道トンネル,74年には新幹線用の新関門トンネルが完成。
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出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
…その後トンネル断面も大型化し,69年に完成したサンフランシスコ~オークランド間のバート・トンネル(複線鉄道,水底部延長5820m)は沈埋式による最長のものである。 日本の水底トンネルは1942年完成の関門海峡の関門トンネル(鉄道トンネル,水底部延長1140m)が最初であり,現在ではこの海峡には,このほか道路と山陽新幹線の二つのトンネルも作られている。大都市の地下鉄は60年以降建設が盛んとなり,河川,運河の横断も多く,圧気シールドやその他の工法で施工されている。…
※「関門トンネル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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