阿久比町(読み)あぐいちよう

日本歴史地名大系 「阿久比町」の解説

阿久比町
あぐいちよう

面積:二三・四六平方キロ

知多郡のほぼ中央に位置し、東西六・一キロ、南北五・九キロ、ほぼ正方形に近い地域である。おおむね東は東浦ひがしうら町、西は常滑とこなめ市、南は半田市、北は知多市に隣接する。東部と西部には標高三〇―六〇メートルの知多丘陵が南北に起伏しつつ延び、中央に阿久比谷を形成し、阿久比川が北から南に貫流する。かつてはこの谷に英比あぐい湾が深く入込み舟運の便があったといわれる。丘陵部はおおむね畑や果樹園で、阿久比川をはじめとする各河川沿いの低地水田に、中間の段丘部には集落が立地している。気温は年平均一五・七―一五・八度で温暖な気候である。

阿久比川の両岸、谷平野には谷の方向に沿った約七二度西に傾いた方格式地割をみる。この条里制的方格式地割はうえ大古根だいごねの辺りから北西の谷頭に向かって延び、殿越とのこし川の合流点付近まで続き、古代には条里制が行われていたと考えられる(阿久比町誌)。阿久比は、阿古屋あこや阿弋あくいなどと記されたが、和銅二年(七〇九)佳字を用いる勅令により英比と記すようになったと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「阿久比町」の意味・わかりやすい解説

阿久比〔町〕
あぐい

愛知県南部,知多半島の中央にある町。 1953年町制。戦国時代は阿久居または阿古居と書かれた。天文年間 (1532~55) 久松俊勝の城地となり,やがて徳川家康の勢力下に入った。古くからの農村地帯で,知多木綿の生産地として知られたが,第2次世界大戦後は愛知用水灌漑により,ミカン,野菜などの栽培が盛ん。阿久比川流域では水田耕作が行われる。名古屋市や東海市などの臨海工業地帯の通勤圏内にあり,町の北半部の丘陵地では,住宅地化が急速に進んでいる。名古屋鉄道河和線が通る。面積 23.80km2人口 2万8383(2020)。

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