阿波しじら(読み)あわしじら

改訂新版 世界大百科事典 「阿波しじら」の意味・わかりやすい解説

阿波しじら (あわしじら)

綿織物の一種で,縮のような感触をもった夏の着尺地(きじくじ)。阿波国(徳島県)特産の正藍染の糸で織ったものが本来だが,近年は藍だけでなく,自由な色づかいによるものも生産されている。織物としての特徴は布面に独特の〈シボ〉と呼ばれる凹凸があることだが,これが生ずるのは,織物の組織を平織と緯畝(ぬきうね)織とを交互に配した混合組織としているからである。つまり,製織後湯通しをすると糸に加えたのりが落ちて経糸が収縮するが,その際平織の部分と緯畝織のところとでは縮み方が違い,緯畝織のほうが組織が粗いため平織の部分より縮み方がいちじるしくなり,そこに〈シボ〉が生ずるわけである。平織部分の糸を地糸,緯畝織のところの経糸を〈タタエ糸〉という。昔は糸が全般に太かったせいもあり,地糸は6本,タタエ糸は2本引揃え2組が順次配列され,組織されていたようだが,現在は地糸6本,タタエ糸3本引揃え2組の配列による繰返しが通例となっている。阿波しじらは江戸時代末に安宅村(現,徳島市内)の海部ハナが雨に濡れてできた縮みじわからヒントを得て,くふう,改良を重ねて作りだしたと伝える。ハナの開発したこの織物は太物(ふともの)問屋安部重兵衛によって,〈タタエ縞〉と名づけられて販売された。予想以上の売行きを示し,1869年(明治2)重兵衛はこれを〈阿波しじら〉と命名,さらに織布技術の改良を重ね,今日の素地を確立したという。最盛期の1916年ごろには年産150万反に及び,中国,朝鮮などにも輸出されたが,大正末期には他の実用織物に押されて衰退。78年〈伝統的工芸品〉に指定され,産業としての振興がはかられている。82年度における生産量は13万反である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「阿波しじら」の意味・わかりやすい解説

阿波しじら
あわしじら

阿波(徳島県)で織り出される縮(ちぢみ)のような地合(じあ)いを出した綿織物。「しじら」とは、糸の張力の不均衡を利用し、皺(しわ)状(しぼ)の織面にしたもの。創始者は海部(かいふ)ハナ(1831―1911)で、寛政(かんせい)年間(1789~1801)ごろから織られていた、縞(しま)木綿の賃織りをしていたが、筬(おさ)一羽に経(たて)二筋のものを、部分的に三筋にして織り、熱湯をかけたのち天日に干すと、生地に自然なしぼが出ることを考案、太物問屋安部重兵衛が商品化し一手販売した。初め「たたえ織」(阿波の方言で経糸を引っ張ること)とよばれ、1870年(明治3)「阿波しじら」と命名された。最盛期は大正期であるが、現在でも土地の阿波藍(あい)をおもに使い、安価な綿織物として需要も多い。

[角山幸洋]

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世界大百科事典(旧版)内の阿波しじらの言及

【縮】より

…綿縮は明和(1764‐72)から天明(1781‐89)のころ,千葉の漁師たちの間で川越縞を模して波崎縞が織られていたが,強撚糸使いの縮が創製され,のち銚子縮として広まったのが始まり。寛政年間(1789‐1801)には阿波しじらがつくられた。縬間道(しじらかんとう)は縮んだ白地に黒茶の吉野縞が入り,名物裂(めいぶつぎれ)として知られている。…

【徳島[県]】より

…近世の船大工の伝統を継ぐ木工業が盛んで,なかでも阿波鏡台は全国に市場をもち,地場産業第1位の生産額を占める。また,明治初期に藍と結びついて発明された徳島独特の綿織物阿波しじらがある。近年,吉野川下流部は阪神市場向けの近郊農業地域となり,那賀・勝浦両川流域にも商品作物の導入が進んでいる。…

※「阿波しじら」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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