第2次世界大戦末期に日本の支配下にあった太平洋地域にいる連合国側の捕虜と抑留者に救恤(きゆうじゆつ)品を輸送するための船舶の提供をアメリカ政府が日本政府に申し入れ,この輸送にあたる船舶の往航と復航のいずれにおいても連合国軍の攻撃,臨検,干渉を行わないことを保障した。日本郵船の貨客船阿波丸は,この安導券をもって,1945年2月17日門司を出港し,日米間の取決めどおり,南方諸地域に救恤品を送り届け,帰路シンガポールから2000余名の乗客・乗組員を乗せて航行中,4月1日夜半,台湾海峡でアメリカの潜水艦によって撃沈され,乗組員1名を除く全員が死亡した。アメリカ政府は直ちに軍法会議を開き,潜水艦長を処分し,同年7月5日日本政府に対し,阿波丸撃沈の責任を認め,賠償問題の処理を戦後まで延期することを提案した。戦後の49年,アメリカが日本に与えた多大の援助に感謝する一方法として請求権の放棄を決議した第5国会の決議を経て,同年4月14日の日米協定によって請求権を放棄した。翌年阿波丸事件に関する法律が制定され,日本政府は被害者に見舞金を支払った。
執筆者:芹田 健太郎
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第二次世界大戦末期の1945年(昭和20)4月1日、連合国側に安全を保障されていた日本船阿波丸(1万1000トン)が、アメリカの潜水艦に無警告で撃沈された事件。南方諸地域の連合国側の捕虜、抑留者への救恤(きゅうじゅつ)品輸送を果たした阿波丸は、2000人を超える乗客および乗組員を乗せて帰途についたが、台湾海峡でアメリカ潜水艦クィーンフィッシュ号に攻撃され、乗組員1名が救助されただけで、そのほか全員が死亡した。
この救恤品輸送は、アメリカ政府からの要請に基づくもので、連合国から「安導券」を与えられ、往復とも安全を保障されていただけに、アメリカ側もその責任を認めざるをえず、戦争終結後の賠償問題の検討を約束した。ところが、1949年4月、保守党議員の提案による賠償請求権放棄の国会決議がなされると、当時の吉田茂内閣は、占領下におけるアメリカからの直接間接の「援助」に感謝するとして、アメリカと協定を結び、いっさいの請求権を放棄してしまった。
[山田敬男]
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太平洋戦争末期の1945年(昭和20)4月1日夜,連合国から安全を保障されていた阿波丸が撃沈された事件。アメリカの要請により,南方の日本占領地域の連合国捕虜・抑留者に救恤(きゅうじゅつ)品を輸送した日本郵船の阿波丸が,帰航途上の台湾海峡で米潜水艦に撃沈された。阿波丸は連合国に航行位置を知らせ,緑十字を標示し,夜はイルミネートしていたが,当夜は視界不良で誤って攻撃された。日本の抗議に対しアメリカは誤りを認めたが,最終的に日本は戦後の国会決議で賠償請求権を放棄した。
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…通行の日時,経路,通行者の標識などが合意され,安導券に示された条件に従うかぎり安全通行が保障される。第2次大戦末期に撃沈された阿波丸の安導券では,寄港地・日時,大きさ・形状,白十字の標示個所,夜間の灯火による十字の標示方法,速度などが合意され,アメリカの極東所在艦艇に電信で指示されていた(阿波丸事件)。安導券は,敵国外交使節の本国帰還や敵国全権委員の交渉終了後の帰還などの場合に与えられ,主として政府が交付するが,軍指揮官も自己の指揮下の地域に通用する安導券を発行することがある。…
※「阿波丸事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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