江戸中期の本草学者。名は友之進。盛岡の人。大坂に行く途中難破して中国福建省に漂着、杭州(こうしゅう)に18年在留して医学と本草を学び帰国。1722年(享保7)幕府の募集に応じ採薬使となる。門人植村佐平次政勝(まさかつ)(1695―1777)とともに関東甲信越、奥羽、蝦夷(えぞ)各地をくまなく採薬調査し、多くの有用植物、鉱物の実地研究を行った。幕府の駒場(こまば)薬園で各種薬草栽培に従事、とくにチョウセンニンジンの国産化に成功し薬価の軽減に貢献する。古典考究を主とする本草学派を批判し、「採薬」を眼目とする本草学の一派を確立した。『採薬使記』ほかの著書がある。高弟の田村藍水(らんすい)、遠藤元理(生没年不詳)が師の遺業を発展させた。異才平賀源内は田村藍水の弟子である。
[根本曽代子]
…江戸の生れ。15歳で医学を学び,本草を阿部将翁(?‐1753)に学ぶ。早くからチョウセンニンジンに関心をもち,1737年(元文2)幕府から種子を下付され,栽培を試みる。…
※「阿部将翁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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