日本大百科全書(ニッポニカ) 「阿部謹也」の意味・わかりやすい解説
阿部謹也
あべきんや
(1935―2006)
歴史家、ヨーロッパ中世史研究者。東京に生まれる。家庭の事情により、中学生時代を修道院で過ごす。一橋大学経済学部に入学。ドイツ中世史の権威、上原專祿(せんろく)に師事する。1958年(昭和33)同大学卒業。1963年同大学院社会学研究科博士課程修了。1964年より小樽商科大学の講師、助教授を経て1976年一橋大学教授。1992年(平成4)同大学学長。1996年退官後、名誉教授になる。1999年より共立女子大学学長。
おもに東プロイセン(現ポーランド)の地域史を研究した。1969年から2年間、アレクサンダー・フォン・フンボルト財団の奨学生としてドイツへ留学。ゲッティンゲンの古文書館で14世紀から16世紀の古文書をはじめとする文献資料を研究し、その読解を通じてドイツ中世史の再構築に挑む。また「ハーメルンの笛吹き男伝説」の研究に関心をもち、伝説を歴史学のなかに位置づける民衆史を確立。そこから中世ヨーロッパにおける刑吏や賤民(せんみん)の存在に目を向ける。それらの研究成果をまとめた1974年の『ハーメルンの笛吹き男』および1978年の『中世を旅する人々』(1980年サントリー学芸賞)によって、広く読書界にもその存在を知られるようになる。阿部の歴史観は、社会史のなかに法制史、政治史、経済史を含めてとらえ、なおかつ民衆や賤民などにも目を向けて社会史を構築したものである。古文書の丹念な解読や、伝説や民話をたんなる虚構ではなく史実の反映ととらえる点などは、日本中世史家網野善彦と通じるものがある。事実、『中世の再発見』(1982)など、網野との共同の仕事もある。その後も『中世の窓から』(1981。大仏(おさらぎ)次郎賞)、『中世の風景』(共著、1981)、『中世の星の下で』(1983)など、広く一般読者に向けたヨーロッパ中世史の平易な書物を多く著し、読書界に「中世史ブーム」をおこす。翻訳の仕事には『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』Ein Kurtzweilig Lesen von Dil Ulenspiegel(1990)などがある。
その後、『「世間」とは何か』(1995)により、日本史における「世間」の概念の変遷をたどり、『「世間」論序説』(1999)、『学問と「世間」』(2001)、『世間学への招待』(2002)などを発表。ヨーロッパ社会における個人と社会の関係の研究から、日本社会におけるそれへと軸足を移していった。1997年紫綬褒章(しじゅほうしょう)受章。
[永江 朗]
『『ドイツ中世後期の世界――ドイツ修道会史の研究』(1974・未来社)』▽『『中世を旅する人々――ヨーロッパ庶民生活点描』(1978・平凡社)』▽『『中世の窓から』(1993・朝日新聞社)』▽『『「世間」論序説――西洋中世の愛と人格』(1999・朝日新聞社)』▽『『阿部謹也著作集』全10巻(1999~2000・筑摩書房)』▽『『学問と「世間」』(2001・岩波書店)』▽『『日本人はいかに生きるべきか』(2001・朝日新聞社)』▽『『世間を読み、人間を読む』(2001・日本経済新聞社)』▽『『世間学への招待』(2002・青弓社)』▽『『ハーメルンの笛吹き男――伝説とその世界』『中世の星の下で』(ちくま文庫)』▽『『「世間」とは何か』(講談社現代新書)』▽『『中世の再発見――市・贈与・宴会』(平凡社ライブラリー)』▽『阿部謹也他著『中世の風景』(中公新書)』▽『阿部謹也訳『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』(岩波文庫)』