社会史という名称はかならずしも新しいものではなく、イギリスではすでにトレベリアンGeorge Macaulay Trevelyanが1942年に『イギリス社会史』English Social Historyを書いているし、日本でも喜田貞吉(きたさだきち)の『民族と歴史』(1919)が改称された『社会史研究』があった。このほかにも社会史と名づけられた書物はヨーロッパでは比較的多い。トレベリアンが歴史学を科学とみる学界の立場に安住することなく、広い読者層を対象として歴史研究を営み、基本的にはホイッグ・リベラル系の歴史学を歴史叙述を通して一般の人々に訴えたように、社会史と名づけられた書物の多くは学界の主流から離れたところにあった。学界の主流が政治史、法制史にあったころ、社会史と銘打たれた研究はむしろ社会経済史や風俗史、民俗学などをも取り込みながら広い分野を開拓しつつあった。それらは、近代社会において国家と社会が分離しつつあったなかで、社会に目を向けようとする立場をとっていた。喜田貞吉の研究もアカデミズムに対する挑戦と民俗学への傾斜において同様な傾向をもっていた。その点で、社会史という分野は、初めから既存の歴史学に飽き足らない人々の営為であった。
1929年にマルク・ブロックMarc Blochとリュシアン・フェーブルLucian Paul Viktor Febvreが『社会経済史年報』Annales d'histoire économique et socialeを創刊、現在フランス歴史学界の中心となりつつある「アナール学派」L'école des Annalesの基礎を築いた。アナール学派は、伝統的な実証主義的歴史学が政治史、経済史、文学史などと細分化されている状況を批判し、本来「生きた人間たち」を扱うものとして歴史学を定義し、人間の全体をとらえようとした。アナール学派は、そこで、歴史家に必要なのは「全体を見る目」であるとし、全体をとらえようとする際に社会の深層に注目する。社会の深層という場合、マルクス主義史学のいう上部構造・下部構造論と違って、複眼的に相互連関をみていこうとする。それは、自然科学や人類学、人文地理学、民俗学なども包摂する「新しい歴史学」を志向するものであった。とくに人間の身体と心に対する関心から「心性」Mentalitéを重視する方法によって、歴史学の新しい分野を開拓するものであった。
[阿部謹也]
『マルク・ブロック著、新村猛他訳『封建社会1・2』(1973・みすず書房)』▽『ル・ロワ・ラデュリ著、樺山紘一他訳『新しい歴史』(1980・新評論)』
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… 第1次大戦後の世界情勢の変化に対応して,ロシア史やアメリカ史への関心も芽生えたが,この分野の研究は長いあいだ啓蒙的な性格を脱せず,社会経済史,国制史にいたっては,日本史の分野に比べてはなはだしく立ち遅れていた。しかしその中にあって,箕作の自由主義的歴史観を受け継ぐ今井登志喜(1886‐1950)が,大正末期いらいの日本における社会問題の深刻化に触発されつつ,イギリス社会史,都市発達史など斬新なテーマと取り組み,社会経済史的な考察方法を導入したことは,先駆的な意義をもっている。また上原専禄のドイツ中世史研究は,原史料の綿密な操作という点で,これまた画期的なものであり,その学統は経済史の面では増田四郎(1908‐97),国制史の分野では堀米庸三(1913‐75)に継承されて,第2次大戦後の西欧中世史研究を基礎づけることとなった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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