歴史学者、日本中世史研究者。山梨県に生まれる。1950年(昭和25)東京大学文学部史学科(日本史専攻)卒業。歴史学研究会の委員になる一方で日本常民文化研究所に勤めて、同研究所が水産庁より委託されていた漁村資料の収集を行う。当時、日本共産党の影響下にあった歴史学研究会は路線問題で大きく揺れていた。委員であった網野は悩み、運動から一線を画しつつ、歴史研究の基礎からやり直すことを決意し、全国の漁村に残る古文書を一つ一つ読み直した。ところが1955年、水産庁の予算がうち切られ、日本常民文化研究所退職を余儀なくされた網野は失業状態に陥る。その後都立北園高校の非常勤講師の職を見つけ、出版社でアルバイトをしながら、中世の荘園研究を続ける。東大の卒業論文をベースにこの時期の研究成果を加味した論文が『中世荘園の様相』(1966)として刊行される。
網野の歴史研究、あるいは歴史観はしばしば「網野史学」と呼ばれる。それは彼の研究が、従来の学界からみるとあまりにも異端であったからだ。たとえば『無縁・公界(くがい)・楽』(1978)や『日本中世の非農業民と天皇』(1984)などでは、天皇の支配権力がどこまで及んでいて、その基盤はどこにあったのか、そして支配から外れる場所(アジール)の存在などに目を向けた。また、『日本中世の百姓と職能民』(1998)などでは、従来の歴史学が軽視してきた海民や職能民の存在に着目し、ともすれば支配階層の貴族・武士と被支配層の農民しかいなかったように一般に思われていた中世社会観を一変させた。
なかでも、中世から続く能登の時国(ときくに)家の「襖(ふすま)の下張り」研究は、中世の百姓観を180度変えた。襖の下張りに使われた反故紙(ほごがみ)を丹念に研究すると、それまで貧しい存在だと思われていた百姓が、実は海運業などで豊かな生活をしていたことがわかったのだ。また、「百姓」は必ずしも農民だけを意味するわけではなく、稲作以外の手段によって豊かで多様な生活をしてきたこともわかってきた。
『日本の歴史00巻 「日本」とは何か』(2000)にみられるように、古代から中世においては天皇の権力が及ぶ範囲はごく限定的なものでしかなかったことを明らかにし、後世の人々が漠然といだいている「日本列島すなわち日本国」という「常識」を覆したのも網野の業績といっていいだろう。日本列島を海によって大陸から隔てられた島国としてみるのではなく、東アジア海上交通の要所としてとらえ直すと、歴史観、民族観、国家観は大きく変わるのである。
また網野は、日本中世史の狭い枠の中だけにとどまらず、民俗学や人類学、宗教学、ヨーロッパ中世史学などの研究者とも協力して、新たな歴史学を切り拓いている。
名古屋大学助教授を経て1980年神奈川大学短期大学部教授に就任、同大学特任教授を経て1998年(平成10)退官。
[永江 朗]
『『中世荘園の様相』(1966・塙書房)』▽『『日本の歴史10 蒙古襲来』(1974・小学館)』▽『『日本中世の非農業民と天皇』(1984・岩波書店)』▽『『日本の歴史00巻 「日本」とは何か』(2000・講談社)』▽『『無縁・公界・楽』『異形の王権』『日本中世の百姓と職能民』(平凡社ライブラリー)』▽『『日本論の視座』(小学館ライブラリー)』▽『『日本中世の民衆像』『日本社会の歴史』上中下(岩波新書)』▽『網野善彦ほか著『日本中世史像の再検討』(1988・山川出版)』▽『網野善彦ほか編・著『海と列島文化』1~10、別巻(1990~1993・小学館)』▽『網野善彦・上野千鶴子・宮田登著『日本王権論』(2000・春秋社)』
昭和・平成期の歴史家 元・神奈川大学教授;日本常民文化研究所所員。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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