ドイツ北部,ニーダーザクセン州にある都市。ウェーザー川が古来のミンデン~パーダーボルン~ハノーファーを結ぶ道路と交わる地点に位置する。人口約6万(1983)。現在はエレクトロニクス,機械生産,じゅうたんや衣服製造などが盛んな工業都市である。
ウェーザー川にかけられたウェーザー橋は中世においてヘクスターとミンデンを結ぶ重要な道路にあり,8世紀末にこの橋のそばにボニファティウス教会が建てられた。この教会は北ドイツ最大の聖界所領をもっていたフルダ修道院の分院として成立し,市場を設置していたとみられる。1187-88年にはクベールンハーメレQuernhamele(水車のハーメルン)という名がみられ,この土地が水車用の石を産出していたことを示し,後の町の紋章にも石臼(いしうす)が用いられている。1200年ごろにはエーフェルシュタイン伯が都市領主として町の建設にのり出し,82年には市参事会堂も成立している。13世紀には地域支配(ランデスヘルシャフト)形成の気運のなかでウェルフェン家がこの地方に進出し,ミンデン司教とエーフェルシュタイン家を含む対立が激化していた。フルダ修道院はこのような状況のなかでハーメルン市に対する上級支配権をミンデン司教に売却した。しかしやがてウェルフェン家が進出し,ミンデン司教を抑えて1277年にはハーメルンはウェルフェン家の支配下に入った。この状態が1866年まで続いたのである。
ウェーザー・ルネサンス様式の白壁造りの家が立ち並ぶハーメルンの街並みは,1284年に行方不明になった子どもたち130人をめぐる伝説にいろどられている。この年のヨハネとパウロの日(6月26日)に行方不明になった子どもたちの謎には,16世紀に鼠捕り男の復讐の伝説が結びつき,いわゆる鼠捕り男(笛吹き男)伝説が形成され,グリム童話や,R.ブラウニングの詩で世界中に知られるようになった。子どもたちが行方不明になった原因については少年十字軍説,舞踏病説,東ドイツ植民説,事故説などがあるが,いまだ解明されてはいない。
執筆者:阿部 謹也
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ドイツ北西部、ニーダーザクセン州の郡庁所在都市。人口5万8800(2000)。ハノーバー南西方約40キロメートル、ウェーザー川の河畔に位置する。中世の最重要軍事道路ヘルウェークが、ウェーザー山地中でウェーザー川を越える地点に発生し、1200年ごろから計画的に建設され、商業が栄えた。鉄道の交差点をなし、木材加工、食品、じゅうたん、陶器などの工業が行われる。
1284年、この町で130人の子供が行方不明になった。その原因については、ドイツの東方植民や少年十字軍に関連づけて説明されているがさだかではない。この事件が「ネズミ捕り(笛吹き)男」の伝説となり、グリムの童話やブラウニングの詩に取り上げられて、この町の名は世界中に知られるようになった。市内にはウェーザー・ルネサンス様式の「ネズミ捕り男の家」(1602~03建築)などが残り、6~9月の日曜正午にマルクト教会前で伝説にちなむ寸劇が演じられる。
[齋藤光格]
『阿部謹也著『ハーメルンの笛吹き男――伝説とその世界』(1974・平凡社)』
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