日本大百科全書(ニッポニカ) 「陳伯達」の意味・わかりやすい解説
陳伯達
ちんはくたつ / チェンポーター
(1904―1989)
中国共産党の理論家。もともと哲学を専攻していたが、歴史学、経済学など広範な分野で活動した。福建省出身。1927年に共産党に入党し、上海(シャンハイ)労働大学で学ぶ。日本の侵攻を前に抗日民族統一戦線結成を呼びかける論陣を張り、1936年『読書生活』誌に「新哲学の自己批判」を書いて理論の再生を図る新啓蒙(けいもう)運動を主唱した。抗日戦争勃発(ぼっぱつ)直後、重慶(じゅうけい)で『在文化陣綫上(文化戦線にて)』を刊行、そのあと延安に移り、抗日軍政大学、魯迅(ろじん)芸術学院などで教える一方、毛沢東(もうたくとう)の身辺にあって、新民主主義理論の形成に寄与した。延安で執筆した『中国地租概説』(1944)、『中国四大家族』(1946)は、中国共産党の土地改革、官僚資本没収の政策の理論的根拠となった。戦後も『窃国大盗袁世凱(えんせいがい)』『人民公敵蒋介石(しょうかいせき)』(ともに1946)を出版、中華人民共和国成立後は、中国科学院副院長、党宣伝部副部長などに任じ、1958年、党理論誌『紅旗』創刊とともに編集長となった。1966年、文化大革命が始まると、それまで政治の表面に出ず簡素な生活ぶりをうたわれていたのが、党中央文革小組組長として、第一副組長の江青とともに運動の先頭にたち、1969年の第9回党大会では中央政治局常務委員会委員として政治の中枢にたつに至った。だが、1973年の第10回党大会では、林彪(りんぴょう)集団に組したとして党籍を剥奪(はくだつ)され、さらに「四人組」逮捕後は裁判にかけられた。1989年9月20日に死去した。
[安藤彦太郎]
『大金久展訳『中国四大家族』(1955・青木書店)』